「挨拶は時の氏神」は「あいさつはときのうじがみ」と読み、争いを仲裁してくれる人が現れたら、その取りなしを受け入れて争いを収めるのがよいということわざです。
ここでいう「挨拶」は、「おはようございます」などの礼儀として交わす言葉ではありません。
人の間に入って仲裁するという、現在ではあまり使われなくなった意味を持っています。
このことわざには、怒りや意地によって争いを長引かせず、第三者が差し出してくれた和解の機会を逃さないほうがよいという教えが込められています。
「挨拶は時の氏神」の意味・読み方・使い方
読み方と意味
「挨拶は時の氏神」の読み方は「あいさつはときのうじがみ」です。
意味は、けんかや口論などの最中に仲裁してくれる人が現れたら、その人を氏神様のようにありがたい存在だと考え、取りなしに従うのがよいというものです。
ただ仲裁者を褒めるだけではありません。
争っている当事者に対し、多少の不満が残っていても、仲直りできる機会を大切にするよう促す戒めでもあります。
このことわざの要点は、次のように整理できます。
・争いの当事者ではなく、間に入った人に注目した表現です。
・仲裁者を、ありがたい氏神にたとえています。
・怒りに任せて仲裁を拒まず、争いを収める機会として受け入れるよう勧めています。
使う場面
友人同士や家族のけんか、仕事上の対立、地域でのもめごとなど、第三者が双方の間に入って解決を図る場面で使います。
当事者に「仲裁してくれる人の話を聞いたほうがよい」と助言するときにも、仲裁者が現れて助かった状況を振り返るときにも使える表現です。
一方、朝の挨拶や礼儀の大切さを説く場面には使いません。
また、ことわざは仲裁を受け入れる知恵を示していますが、どのような仲裁案にも無条件で従うという意味ではありません。
一方だけに著しく不利な内容や、法令・契約に関わる問題では、必要に応じて専門家や公的な相談窓口へ確認することも大切です。
挨拶は時の氏神を使った例文
・兄弟げんかが長引きそうだったが、祖母が間に入ってくれたので、挨拶は時の氏神と思って二人とも話を聞いた。
・会議で両者の意見が激しく対立したところ、上司が調整案を示した。挨拶は時の氏神というから、まずは冷静に検討しよう。
・近所同士の話し合いに自治会長が加わり、解決の糸口が見えた。まさに挨拶は時の氏神だった。
・友人が仲裁を買って出てくれたのだから、挨拶は時の氏神と考え、意地を張るのはやめよう。
「挨拶をするとよいことがある」という意味ではない
現代では「挨拶」という言葉から、朝夕に交わす「おはよう」「こんにちは」などを思い浮かべる人が多いでしょう。
そのため、「礼儀正しく挨拶をすれば神様が助けてくれる」という意味に受け取ると、ことわざ本来の内容から外れてしまいます。
ここでの「挨拶」は仲裁や取りなしです。
「氏神」は、その仲裁者のありがたさを表すためのたとえとして用いられています。
なぜ「挨拶」が仲裁を意味するのか
禅宗の問答から言葉のやり取りへ
「挨拶」の「挨」と「拶」には、ともに押すという意味があります。
もともと禅宗では、師が問答を通じて修行者に迫り、その悟りの深さを試すことを表す言葉として用いられました。
そこから、問答や応答、受け答えなど、言葉をやり取りする意味へ広がったと考えられています。
さらに日本では、人付き合いのための応対や儀礼だけでなく、人と人との関係を取り持つことも「挨拶」と呼ぶようになりました。
現在よく使われる「礼儀として交わす言葉」と、このことわざに残る「仲裁」は、まったく無関係な意味ではありません。
どちらも、人と人との間で言葉を交わし、関係を整える働きから生まれた用法とみることができます。
江戸時代には仲介や仲裁を表していた
『精選版 日本国語大辞典』では、「挨拶」が取り持ちや仲介を意味する用例として、井原西鶴の浮世草子『日本永代蔵』(1688年)を挙げています。
仲裁や調停を表す用例としては、1731年ごろの浄瑠璃『八百屋お七』が示されています。
この頃には、「挨拶」が単なる受け答えにとどまらず、不仲になった人々の間を取り持つ行為にも使われていたことが分かります。
「挨拶は時の氏神」は、こうした現在では分かりにくくなった語義を残していることわざです。
なぜ仲裁者を「氏神」にたとえたのか
氏神は氏族や地域を守る神
氏神は、もともと氏族が共同で祭る祖先神や、その氏族と深い関係を持つ守護神を指しました。
時代が下ると、村や地域の人々を守る神も氏神と呼ばれるようになり、産土神や鎮守神と同じように受け取られる場合が増えていきました。
人々にとって氏神は、自分たちと深く結び付き、暮らしを見守るありがたい存在でした。
そのため、争いが深刻になる前に現れ、間に入ってくれる人のありがたさを表すたとえとして「氏神」が選ばれたと考えられます。
「氏神」には救いの神や仲裁者という比喩も生まれた
『精選版 日本国語大辞典』は、「氏神」の比喩的な意味として「救いの神」、特にけんかの仲裁者を挙げています。
その用例は、1707年ごろの浄瑠璃『丹波与作待夜の小室節』にも確認できます。
つまり、ことわざ全体の文献上の用例が確認される以前から、困った場面に現れる救い手や仲裁者を「氏神」と呼ぶ言い方があったことになります。
「時の氏神」の「時」は、決まった時刻ではなく、助けを必要としているちょうどその時という意味です。
争いを収める絶好の機会に現れた仲裁者だからこそ、普段から祭る氏神になぞらえ、「その時の氏神」と表現したのでしょう。
江戸時代末期の歌舞伎に残る用例
『上総綿小紋単地』で現在とほぼ同じ形が使われた
『精選版 日本国語大辞典』が「挨拶は時の氏神」の初出例として挙げているのは、1865年の歌舞伎『上総綿小紋単地』(かずさもめんこもんのひとえじ)です。
この作品は、河竹黙阿弥が慶応元年8月に江戸の中村座のために書いた歌舞伎で、資料によって「上総木綿小紋単地」「上総棉小紋単地」と表記されることもあります。
三幕では、怒っている双方に対し、仲裁する人物が自分の言葉を少しは立ててほしいと求める場面で「挨拶は時の氏神とやら」という言い回しが使われています。
意味も形も現在のことわざとほぼ同じです。
この用例から、少なくとも江戸時代末期には、争いの仲裁を受け入れるよう促す言葉として通用していたことがうかがえます。
歌舞伎がことわざの発祥とは限らない
辞書に記された「初出の実例」は、現在確認されている代表的な古い文献例です。
『上総綿小紋単地』の作者が、このことわざを初めて作ったという意味ではありません。
劇中で「とやら」と添えて使われていることからも、当時すでに知られていた言い回しを登場人物が引用した可能性があります。
確認した主要な辞書では、ことわざを作った特定の人物や、発祥となった一つの出来事までは示されていません。
したがって、「1865年に歌舞伎から生まれた」と断定するのではなく、「江戸時代末期の歌舞伎に古い用例が残っている」と理解するのが正確です。
「仲裁は時の氏神」と「時の氏神」との関係
いずれも仲裁者のありがたさを表す
「挨拶は時の氏神」と同じ意味で、「仲裁は時の氏神」という言い方があります。
古い意味の「挨拶」を、現在でも分かりやすい「仲裁」に置き換えた形です。
また、ちょうどよい時に現れて助けてくれる人や、けんかを仲裁してくれる人そのものを「時の氏神」と呼ぶこともあります。
それぞれの使い分けは、次のとおりです。
・挨拶は時の氏神:仲裁を受け入れて争いを収めるのがよいという教えです。
・仲裁は時の氏神:「挨拶」を現在の言葉に置き換えた同義の表現です。
・時の氏神:よい時機に現れた仲裁者や助け手を指します。
「挨拶は時の氏神」に関するよくある質問
「挨拶」は朝夕の挨拶を意味しますか?
いいえ。
このことわざでは、争いの間に入る仲裁や取りなしを意味します。
日常の挨拶を大切にしようという教えではありません。
「氏神」は特定の神社の神様ですか?
ことわざの中では、特定の神社や祭神を指しているわけではありません。
氏族や地域を守る氏神のありがたさを借りて、争いを収めてくれる仲裁者を表しています。
誰が作ったことわざですか?
作者は明らかになっていません。
主要な辞書が挙げる古い文献例は、1865年の歌舞伎『上総綿小紋単地』ですが、これは現時点で確認できる用例であり、作者がことわざを考案した証拠ではありません。
「仲裁は時の氏神」と意味は違いますか?
基本的な意味は同じです。
「仲裁は時の氏神」のほうが、現在の読者には意味を直接理解しやすい表現といえます。
まとめ
「挨拶は時の氏神」は、争いを仲裁してくれる人が現れたら、その取りなしをありがたく受け入れ、争いを収めるのがよいということわざです。
ここでの「挨拶」は礼儀として交わす言葉ではなく、仲裁や取りなしを意味します。
「挨拶」は禅宗の問答から応答や人間関係を取り持つ意味へ広がり、「氏神」も守護神から救い手や仲裁者を表す比喩として用いられるようになりました。
1865年の歌舞伎『上総綿小紋単地』には現在とほぼ同じ形の用例が残っていますが、ことわざを誰が作ったのかは分かっていません。
怒りや意地によって争いを続けるよりも、第三者が示してくれた解決の機会を大切にするという、人間関係の知恵を伝える言葉です。

