PR

愛立てないは祖母育ちとは?意味・読み方・由来と使い方を解説

このページにはプロモーションが含まれています。

「愛立てないは祖母育ち」は、「あいだてないはばばそだち」と読むことわざです。

祖母にかわいがられて育った子どもは、甘やかされるため、わがままになったり礼儀を欠いたりしやすいという意味で使われてきました。

ただし、祖母に育てられた人の性格を事実として説明する言葉ではありません。

昔の子育て観から生まれた戒めであり、現在では特定の家庭環境や人物を決めつけないよう注意が必要です。

ここでは、「愛立てない」の古い意味をはじめ、このことわざの成立を考える手掛かりとなる文献、類句との違い、現代での使い方を紹介します。

スポンサーリンク

「愛立てないは祖母育ち」の意味・読み方・使い方

「愛立てないは祖母育ち」は、子どもをかわいがるだけで、しつけや節度を教えなければ、無遠慮でわがままな性格になりかねないという戒めです。

読み方と基本的な意味は、次のとおりです。

・読み方:あいだてないはばばそだち

・意味:祖母に甘やかされて育った子どもは、無作法でわがままになりやすいということ

・性質:愛情の与え方が度を越すことを戒める、否定的な意味を持つことわざ

ここでの「祖母」は「そぼ」ではなく、「ばば」と読みます。

「愛立てない」は現代の日常会話ではほとんど使われない古い言葉で、「無作法だ」「ぶしつけだ」「わきまえがない」などの意味を表します。

ことわざ全体は、「無作法でわきまえのない人は、祖母に甘やかされて育ったのだろう」という昔の見方を短く言い表したものです。

ただし、問題の中心は祖母という存在ではなく、かわいがることと、必要なしつけとの釣り合いが取れていない育て方にあります。

「愛立てないは祖母育ち」を使った例文

・昔の子育てに関することわざを調べると、「愛立てないは祖母育ち」のように、甘やかしを戒める言葉がいくつも見つかります。

・祖父母も育児に協力する家庭では、「愛立てないは祖母育ち」にならないよう、家族で叱る基準をそろえていました。

・彼女は「愛立てないは祖母育ち」という言葉を紹介しながら、昔と現代では祖父母に対する見方が異なると説明しました。

・「愛立てないは祖母育ち」とはいうものの、育った環境だけで人の性格を決めつけるべきではありません。

現代では使い方に注意が必要

このことわざを、祖母に育てられた人への非難として直接使うのは避けたほうがよいでしょう。

祖父母が孫を育てる事情や家庭の形はさまざまであり、「祖母育ちだからわがままだ」と決めつければ、相手を傷つける可能性があります。

現代では、昔の子育て観を説明する場合や、立場に関係なく過度な甘やかしを戒める場合に限定して使うのが適切です。

「愛立てない」の語源と意味の変化

ことわざの前半にある「あいだてない」は、現在では意味を推測しにくい言葉です。

漢字表記だけを見ると「愛情を示さない」という意味にも見えますが、そのような意味ではありません。

「あいだちなし」が変化した近世語とされる

『デジタル大辞泉』では、「あいだてない」は「あいだちなし」が音変化した可能性のある近世語とされています。

主な意味として挙げられているのは、次の三つです。

・無作法である、ぶしつけである

・分別がない

・不相応である、とんでもない

現在一般に使われる「愛立てない」という漢字表記だけから、語の成り立ちを「愛を立てない」と断定することはできません。

もともとの語形や語源には不明確な部分があるため、「わきまえがない」「度を越している」という古い言葉として理解するのが適切です。

室町時代には「度が過ぎる」という意味で使われた

『精選版 日本国語大辞典』は、「あいだてない」に関係する早い用例として、1458年から1460年ごろに成立した『漢書列伝竺桃抄』を挙げています。

この文献では「あいたてなさ」という形で使われ、度が過ぎていることや、むやみであることを表しています。

この段階では、祖母による子育てと直接結び付いた言葉ではありません。

後に「無分別」「ぶしつけ」「わがまま」などへ意味が広がり、甘やかされて育った人の振る舞いを表すことわざに取り込まれていったと考えられます。

『季吟十会集』に見える祖母育ちとの結び付き

「あいだてない」と「祖母育ち」が近い文脈で使われた古い例は、江戸時代前期の俳諧集に確認できます。

ただし、現在の「愛立てないは祖母育ち」という形が、そのまま記されているわけではありません。

北村季吟が編んだ俳諧集

その文献は、1672年に成立した『季吟十会集』です。

編者の北村季吟は、江戸時代前期に活動した俳人・歌人・古典学者で、『源氏物語湖月抄』などの古典注釈書でも知られています。

『季吟十会集』には、北村季吟による「男山われもむかしは姥そだち」という句に続き、玄三という人物の「あいたてなくもそれるさかやき」という句が収められています。

「さかやき」は、当時の男性が頭頂部の髪をそった部分である月代のことです。

この二つの句では、「姥そだち」と「あいたてなく」が続けて用いられており、祖母に育てられたことと、わきまえのなさを結び付ける発想が江戸時代前期にあったことが分かります。

現在のことわざと同じ原文ではない

『季吟十会集』の句は、このことわざの成立を考えるうえで重要な手掛かりです。

しかし、「愛立てないは祖母育ち」という完成した文が掲載されているわけではないため、この俳諧集をことわざの確実な初出と断定するのは慎重でなければなりません。

現在の形がいつ固定したのかについては、確認できる資料が限られています。

古くからあった「あいだてない」という語と、祖母に甘やかされた子どもに対する昔の見方が結び付き、後世に覚えやすいことわざとして定着したとみるのが自然です。

江戸時代の文献から分かる「あいだてない」の広がり

「あいだてない」は、江戸時代の複数の作品に登場します。

それぞれの用例をたどると、単に「度が過ぎる」だけでなく、人間関係や育て方に関係する意味へ広がった過程が見えてきます。

無遠慮やわがままを表す言葉になった

1702年の浮世草子『沖津白波』では、「あいだてなく」が遠慮のない、ぶしつけな振る舞いを表す場面で使われています。

1712年ごろの『商人軍配団』には、親のいる娘が「あいたてなく」育ち、世間の事情に疎いという趣旨の記述があります。

この用例では、育てられ方と本人の未熟さが結び付けられています。

さらに、1717年の浮世草子『世間娘容気』では、親が娘を「あいたてなく」育てたという形で使われています。

ここでの「あいだてない」は、親が子どもを盲目的にかわいがることや、猫かわいがりにすることを表します。

つまり、この語は「甘やかされてわがままな人」と「節度なくかわいがる育て方」の両方に関係する意味を持つようになりました。

そのため、「愛立てないは祖母育ち」は、子どもの無作法さをいうと同時に、かわいがる側の愛情が度を越すことを戒める言葉としても理解できます。

類句「祖母育ちは三百安い」との違い

「愛立てないは祖母育ち」と似たことわざに、「祖母育ちは三百安い」があります。

読み方は「ばばそだちはさんびゃくやすい」です。

このことわざも、祖母に甘やかされて育った子どもは、しっかりしていないと見なされやすいという昔の考えを表します。

「三百」は三百文を指し、人を値踏みするように「ほかより三百文ほど価値が低い」と表現したものです。

両者の違いを簡単に整理すると、次のようになります。

・愛立てないは祖母育ち:無遠慮、無分別、わがままといった振る舞いに重点がある

・祖母育ちは三百安い:甘やかされた子は頼りなく、人物として低く見積もられるという評価に重点がある

どちらも、祖母に育てられた人を一律に評価するための言葉ではありません。

昔の社会にあった子育てへの警戒や価値観を伝える表現として読む必要があります。

「愛立てないは祖母育ち」に関するFAQ

「祖母」は「そぼ」と読んでもよいですか?

このことわざでは、「祖母」を「ばば」と読みます。

全体の読み方は「あいだてないはばばそだち」です。

「あいだてないはそぼそだち」は、一般的な読み方ではありません。

「愛立てない」は愛情がないという意味ですか?

愛情がないという意味ではありません。

「あいだてない」は、無作法、無分別、ぶしつけ、度が過ぎるなどを表す古い言葉です。

漢字の「愛」だけを見て、現代語の「愛がない」と解釈しないようにしましょう。

『季吟十会集』がことわざの出典ですか?

ことわざの成立に関係する古い用例を確認できる文献ですが、確実な出典や初出とまでは断定できません。

『季吟十会集』には、「姥そだち」と「あいたてなく」を続けた俳諧が収められていますが、現在のことわざと同じ一文は記されていません。

祖母に育てられると本当にわがままになりますか?

このことわざは、昔の人々が抱いていた典型的な見方を表したものであり、すべての家庭に当てはまる事実ではありません。

子どもの成長には、家庭環境、周囲との関係、本人の性格など、さまざまな要素が関わります。

祖母に育てられたという理由だけで、人の性格や能力を判断するのは適切ではありません。

まとめ

「愛立てないは祖母育ち」は「あいだてないはばばそだち」と読み、祖母に甘やかされて育った子どもは、無遠慮でわがままになりやすいという意味のことわざです。

「あいだてない」は、無作法、無分別、ぶしつけなどを表した古い言葉です。

室町時代の文献には「度が過ぎる」という意味の早い用例があり、江戸時代には、無遠慮な振る舞いや盲目的にかわいがる育て方を表す語として用いられました。

1672年の『季吟十会集』には、「姥そだち」と「あいたてなく」が続く古い用例も見られますが、現在のことわざがそのまま載っているわけではありません。

現代では、甘やかしすぎを戒める教訓として理解できる一方、祖母や特定の家庭環境への決めつけにならないよう、使う場面に配慮することが大切です。

タイトルとURLをコピーしました