「相手のない喧嘩はできぬ」(あいてのないけんかはできぬ)とは、相手が応じなければ喧嘩は成り立たないという意味のことわざです。
挑発を受けても言い返さなければ争いは広がりにくいという、衝突を避けるための戒めが込められています。
明確な考案者や由来となった物語は確認されていませんが、明治43年(1910年)刊の『諺語大辞典』には、現在とほぼ同じ形が収録されています。
この記事では、「相手のない喧嘩はできぬ」の使い方に加え、古い辞典での扱いや似たことわざとの違いを紹介します。
「相手のない喧嘩はできぬ」の意味・読み方・使い方
読み方と意味
読み方は「あいてのないけんかはできぬ」です。
一方が怒ったり挑発したりしても、もう一方が応じなければ、互いに争う喧嘩にはならないという意味です。
ここでいう「喧嘩」には、殴り合いのような争いだけでなく、口論や言い争いも含まれます。
「できぬ」は「できない」を意味する古風な言い方であり、「相手のない喧嘩はできない」と言い換えても意味は変わりません。
争いに応じないよう促す場面で使う
このことわざは、挑発に乗ろうとしている人を落ち着かせる場面や、自分に言い聞かせて争いを避ける場面で使えます。
単に「喧嘩には二人が必要だ」と説明するだけでなく、「相手にならなければ喧嘩を大きくせずに済む」という戒めを伝える表現です。
ただし、争いに二人が関わったからといって、双方の責任が同じとは限りません。
暴力、いじめ、ハラスメントなどの被害を受けた人に対し、「応じた側にも責任がある」と非難したり、黙って耐えるよう求めたりする使い方は適切ではありません。
「相手のない喧嘩はできぬ」を使った例文
・相手のない喧嘩はできぬというから、挑発的な書き込みには反応しないほうがよい。
・弟が言い返そうとしたので、祖父は「相手のない喧嘩はできぬ。ここはいったん引きなさい」と諭した。
・会議で感情的な言葉を向けられたが、相手のない喧嘩はできぬと思い、事実だけを落ち着いて伝えた。
「相手のない喧嘩はできぬ」が表す争いの仕組み
挑発と応酬が続くことで喧嘩になる
喧嘩は、一方の言葉や行動だけで完結するものではありません。
挑発に対して相手が言い返し、さらに強い言葉が返されるという応酬によって、争いが大きくなっていきます。
この関係は、「喧嘩を売る」「喧嘩を買う」という言い回しにも表れています。
売られた喧嘩を必ず買う必要はなく、応じないという選択をすれば、少なくともその場での応酬は止められます。
このことわざは、争いを相手だけの問題として見るのではなく、自分の反応によって流れを変えられる場合があることを示しています。
「相手をしない」は我慢し続けることではない
争いに応じないことは、相手の主張を認めることや、不当な行為を我慢し続けることと同じではありません。
その場では言い争いを避け、双方が落ち着いてから話し合うこともできます。
自分だけでは解決できない場合には、記録を残したうえで、家族、職場の相談窓口、学校、警察などの第三者へ相談する方法もあります。
「相手のない喧嘩はできぬ」は、問題を放置するためではなく、感情的な応酬を避けるための知恵として受け取るのが自然です。
現代のSNSでも通じる考え方
このことわざが表す仕組みは、対面での口論だけでなく、SNSや掲示板でのやり取りにも当てはまります。
強い言葉へすぐに反論すると、短時間のうちに応酬が重なり、本来の話題から外れた争いに発展することがあります。
返信しない、いったん時間を置く、必要なら運営者へ報告するという対応は、相手を言い負かすこととは異なる形で自分を守る方法です。
時代が変わっても、争いの連鎖を断つには応酬へ加わらない選択があるという点は変わりません。
明治時代の『諺語大辞典』に見られる古い用例
1910年には現在とほぼ同じ形で収録されていた
藤井乙男が編纂し、有朋堂から明治43年(1910年)に刊行された『諺語大辞典』には、「相手ノナイ喧嘩ハ出來ヌ」と記されています。
カタカナ表記と旧字体が使われていますが、現在の「相手のない喧嘩はできぬ」と同じ言葉です。
同書は多数のことわざや言い回しを集めた辞典であるため、1910年にこの言葉が作られたという意味ではありません。
少なくとも明治末期には、辞典へ収録される表現として知られていたことが確認できます。
「相手なければ訴訟なし」も同じ意味とされた
『諺語大辞典』には、「相手ナケレバ訴訟ナシ」という別の表現も収録されています。
その説明では、「相手ノナイ喧嘩ハ出來ヌ」と同じ意味であると示されています。
「相手なければ訴訟なし」は、争う相手がいなければ訴訟も成り立たないという形で、同じ仕組みを表した言葉です。
現在は「相手のない喧嘩はできぬ」のほうが意味を想像しやすいものの、古い辞典では複数の言い回しが関連付けられていたことが分かります。
正確な成立時期や考案者は分かっていない
「相手のない喧嘩はできぬ」には、特定の人物や出来事を由来とする物語は確認されていません。
中国の古典にある一節から生まれたと断定できる資料も、今回確認した範囲では見つかりませんでした。
日常の口論は相手が応じることで続くという経験を、覚えやすい一文にまとめた生活の知恵として理解できます。
ただし、それが実際の成立過程だったと証明する記録はないため、「明治時代に生まれた」と断定するのも正確ではありません。
現時点では、「少なくとも1910年には記録されていたが、正確な初出と考案者は不明」とするのが適切です。
海外にもある「争いには二人が必要」という考え
1949年の雑誌では英語のことわざと比較された
昭和24年(1949年)8月発行の英語学習誌『カムカムクラブ』2巻8号には、「東西諺くらべ」という記事が掲載されています。
国立国会図書館の全文検索では、そこで「相手のない喧嘩はできぬ」に対応する英語のことわざとして「When one will not, two cannot」が紹介されていることを確認できます。
直訳に近い形では、「一方が争おうとしなければ、二人で争うことはできない」という意味です。
英語には「It takes two to make a quarrel」という、「喧嘩をするには二人が必要だ」と表すことわざもあります。
言語は異なっても、争いは一方だけでは成り立たないという考え方が共有されていることが分かります。
英語から生まれたとは断定できない
日本語と英語に非常によく似たことわざがあるため、どちらかが翻訳された表現のようにも見えます。
しかし、1910年の『諺語大辞典』は英語との関係を由来として示していません。
英語に類似表現が存在するという事実だけでは、日本語のことわざが英語から生まれた証拠にはなりません。
争いには複数の当事者が必要だという観察は、異なる地域で別々に言葉となる可能性もあります。
そのため、英語との共通点は紹介できても、起源まで同じだとは断定しないほうがよいでしょう。
「相手のない喧嘩はできぬ」と似たことわざとの違い
「売り言葉に買い言葉」との違い
「売り言葉に買い言葉」は、相手の乱暴な言葉に対して、こちらも同じように乱暴な言葉で言い返すことを表します。
すでに感情的な応酬が始まっている状況を示す言葉です。
一方、「相手のない喧嘩はできぬ」は、そのような応酬へ加わらず、喧嘩を成立させないという考えに重点があります。
「売り言葉を買わない」ための戒めが、「相手のない喧嘩はできぬ」だと考えると違いが分かりやすいでしょう。
「喧嘩両成敗」との違い
「喧嘩両成敗」は、喧嘩をした双方に責任があるとして、両方を処分したり戒めたりする考えを表します。
争いが起きた後の責任や扱いに重点がある言葉です。
これに対し、「相手のない喧嘩はできぬ」は、相手をしなければ争いの応酬を防げるという、喧嘩が起きる前や広がる前の対応に重点があります。
また、「相手のない喧嘩はできぬ」は、関わった二人の責任が必ず同じだと述べる言葉ではありません。
「一人相撲」との違い
「一人相撲」は、相手が関わっていないのに、一人で意気込んだり空回りしたりすることのたとえです。
相手の反応がないという点は似ていますが、喧嘩に限った表現ではありません。
「相手のない喧嘩はできぬ」は争いを避ける知恵を示し、「一人相撲」は行動が一方的になっている状態を表すという違いがあります。
「相手のない喧嘩はできぬ」に関するよくある質問
「相手のない喧嘩はできない」と言っても間違いではありませんか?
間違いではありません。
「できぬ」は「できない」の古風な形なので、日常会話では「相手のない喧嘩はできない」と言い換えられます。
ことわざとして紹介する場合は、古くから収録されている「できぬ」の形を使うとよいでしょう。
中国の故事や古典が由来ですか?
中国の特定の故事や古典を原典とすることは、確認できた資料からは裏付けられませんでした。
明治43年の『諺語大辞典』には収録されていますが、それ以前の正確な初出は明らかではありません。
英語のことわざを日本語に訳した表現ですか?
その可能性を断定できる資料は確認されていません。
英語には「When one will not, two cannot」などのよく似た表現がありますが、似ていることだけで翻訳関係にあるとは判断できません。
「喧嘩両成敗」と同じ意味ですか?
同じ意味ではありません。
「喧嘩両成敗」は争いをした双方の責任や処分に注目する言葉ですが、「相手のない喧嘩はできぬ」は、相手をしなければ喧嘩の応酬を防げることを表します。
まとめ
「相手のない喧嘩はできぬ」は、相手が応じなければ喧嘩は成り立たないという意味のことわざです。
挑発を受けてもすぐに言い返さず、争いの連鎖へ加わらないようにという戒めとして使われます。
明治43年(1910年)の『諺語大辞典』には現在とほぼ同じ形が収録され、「相手なければ訴訟なし」という表現と同義とされています。
ただし、正確な成立時期や考案者、特定の原典は分かっていないため、「少なくとも明治末期には記録されていた」と理解するのが適切です。
争いに複数の当事者が必要だとしても、双方の責任が常に同じとは限りません。
被害を受けた人へ我慢を求める言葉ではなく、自分が感情的な応酬を避けるための知恵として生かすことが大切です。

