「暗中模索」は「あんちゅうもさく」と読み、手がかりがない状態で、方法や解決策をあれこれ試しながら探すことを意味します。
先の見通しが立たない難しさを表す言葉ですが、何もせずに迷っているだけではなく、答えを求めて動いている様子も含まれます。
由来は、唐代の劉餗が著した『隋唐嘉話』に収められた、文人で政治家でもあった許敬宗の逸話です。
ただし、もとの話は「解決策を手探りで探した」という内容ではなく、「優れた文人なら暗闇の中でも見分けられる」という許敬宗の自信に満ちた言葉でした。
ここでは、暗中模索の意味や使い方を確認したうえで、原典の文章、許敬宗の人物像、名前を挙げられた四人の詩人、現在の意味へ変化した過程を紹介します。
「暗中模索」の意味・読み方・使い方
暗中模索は、見通しの立たない状況でも答えを求め、試行錯誤を続けている様子を表します。
読み方と意味
暗中模索の読み方は「あんちゅうもさく」です。
「暗中」は暗闇の中を指し、「模索」は手探りで物を探すことや、方法をいろいろ試しながら答えを探し求めることを表します。
二つを合わせた暗中模索には、次の意味があります。
- 暗闇の中で、手探りによって物を探すこと。
- 手がかりや確かな方針がないまま、解決方法をあれこれ試すこと。
現代では、実際の暗闇について述べるよりも、仕事、研究、治療、教育、制度づくりなどで正解が分からない状態をたとえる使い方が一般的です。
暗中模索が持つニュアンス
暗中模索そのものは、完全に肯定的な言葉でも、否定的な言葉でもありません。
「見通しが立たない」「確かな手がかりがない」という困難さを示す一方で、「それでも方法を探している」という行動の継続も表せます。
そのため、結果が出ていない状況を説明する場合にも、粘り強く取り組む姿勢を示す場合にも使われます。
単に考えがまとまらず立ち止まっているだけの状態より、試したり調べたりしながら答えに近づこうとしている場面に適した表現です。
暗中模索を使った自然な例文
- 前例のない事業だったため、担当者たちは暗中模索しながら運営方法を整えていきました。
- 不具合の原因が分からず、開発チームは暗中模索を続けています。
- 地域の伝統を守りながら若い世代へ伝える方法を、住民たちは暗中模索していました。
- 研究を始めた当初は暗中模索の状態でしたが、調査を重ねるうちに方向性が見えてきました。
「暗中模索する」「暗中模索を続ける」「暗中模索の状態」といった形で使うと自然です。
「暗中模索」と「暗中摸索」はどちらが正しい?
現在の日本語では「暗中模索」と書くのが一般的ですが、「暗中摸索」も誤りではありません。
「摸」には、手で触れながら探るという意味があります。
日本漢字能力検定協会の漢字ペディアでも、「模索」は「摸索」の書き換え字とされ、暗中模索は暗中摸索とも書くと説明されています。
原典の『隋唐嘉話』には「摸索」の文字が使われているため、語源に近い表記は「暗中摸索」です。
一般向けの文章では、広く定着している「暗中模索」を使えば問題ありません。
暗中模索の由来は唐代の『隋唐嘉話』
暗中模索のもとになった文章は、隋から唐にかけての人物や出来事を記した『隋唐嘉話』に見えます。
『隋唐嘉話』とは
『隋唐嘉話』は、唐代の劉餗がまとめた人物逸話集です。
劉餗の読み方は「りゅうそく」で、同書には宮廷の出来事、政治家や文人の言動、制度や文化にまつわる短い話が収められています。
王朝の歴史を年ごとに並べた公式の歴史書とは性格が異なり、人物の言葉や振る舞いを簡潔に伝える筆記・逸話集として読む必要があります。
暗中模索の由来となった一節も、許敬宗の性格を印象的な会話によって伝える短い話です。
原典に記された許敬宗の言葉
『隋唐嘉話』は、許敬宗には人を軽んじる傲慢なところがあり、会った人のことをよく忘れたと記しています。
ある人が、許敬宗は頭の働きが鈍いため人を覚えられないのではないかと指摘しました。
これに対して許敬宗は、相手のほうが覚えにくいのだと言い返し、次の言葉を続けます。
「若遇何、劉、沈、謝、暗中摸索著、亦可識。」
現代の日本語にすると、「もし何・劉・沈・謝ほどの人物に出会ったなら、暗闇の中で手探りしても見分けられる」という意味です。
つまり許敬宗は、自分の記憶力が悪いのではなく、忘れてしまうような相手に際立った才能がないのだと主張しました。
一流の文人であれば、顔が見えない暗闇で手探りするだけでも分かるという、強い自負と相手への皮肉が込められた返答です。
許敬宗は文才に優れた唐代の政治家
故事の面白さを理解するには、許敬宗が実際に文才で名を知られた人物だったことが重要です。
唐太宗に文章力を認められた人物
許敬宗は隋末から唐初にかけて生きた政治家・文人です。
『旧唐書』によると、若いころから文章を作ることに優れ、秀才に選ばれたのち、唐太宗に名を知られて秦王府の学士に迎えられました。
その後は著作郎として国史の編纂に携わり、中書舎人など文章作成に関係する重要な官職も務めています。
唐太宗の高句麗遠征では、馬前で命令を受けて詔書を作り、その文章の美しさを高く評価されたことも『旧唐書』に記されています。
許敬宗の「優れた文人なら暗闇でも分かる」という言葉は、単なる虚勢ではなく、自らも文章の専門家として宮廷で認められていた人物の発言でした。
才能への自信が傲慢な返答になった
一方、『隋唐嘉話』は許敬宗を「性軽傲」、すなわち人を軽んじて傲慢な性格だったと評しています。
人の顔を忘れることを注意されても自分の落ち度を認めず、相手に覚えるだけの価値がないと言い返したところに、その人物像が端的に表れています。
この故事は、暗闇の中で困難に立ち向かった英雄の話ではありません。
文才に自信を持つ許敬宗が、過去の名高い詩人を引き合いに出して相手をやり込めた逸話なのです。
「何・劉・沈・謝」は南朝を代表する四人の文人
許敬宗が名前を挙げた「何・劉・沈・謝」は、一般に何遜、劉孝綽、沈約、謝朓を指すと解釈されています。
何遜と劉孝綽
何遜と劉孝綽は、ともに南朝梁を代表する文人です。
何遜は清らかで洗練された詩を残し、同時代の文壇で高く評価されました。
劉孝綽も幼いころから文章の才能を示し、その作品が広く読まれた人物です。
二人は文章によって並び称され、「何劉」と呼ばれました。
原典が四人を「何、劉、沈、謝」と姓だけで示しているのは、名前を詳しく書かなくても伝わるほど著名だったためと考えられます。
沈約と謝朓
沈約は南朝宋・斉・梁の三つの王朝に仕えた文人・歴史家で、当時の文壇に大きな影響力を持っていました。
謝朓は南朝斉の詩人で、山水を清新な言葉で描いた詩によって知られています。
沈約と謝朓は、詩の音の調和や形式を重視した南朝文学を代表する存在です。
四人はいずれも許敬宗より前の時代に活躍したため、許敬宗が実際に会った知人ではありません。
ここでの「出会えば」は仮定であり、許敬宗は歴史上の名高い文人を、誰もが認める才能の基準として挙げたのです。
「暗中摸索」が現在の「暗中模索」になるまで
原典の一節が故事から離れて使われるようになると、言葉の中心は許敬宗の人物評から「暗闇の中で手探りする」という情景へ移っていきました。
原典と現在では表す内容が異なる
原典の「暗中摸索」は、暗闇の中でも優れた人物を見分けられるという許敬宗の誇張表現でした。
現在の暗中模索は、見分ける対象が優れているかどうかではなく、手がかりのない状態で答えや方法を探すことを表します。
言葉が故事から独立し、暗い場所で手を伸ばして探す動作が、先の見えない状況で試行錯誤することのたとえとして理解されるようになったのです。
そのため、現代の用法だけを見ても意味は分かりますが、由来を知ると、もともとは許敬宗の自慢と皮肉を伝える言葉だったという意外な背景が見えてきます。
日本では「模索」の表記が定着した
日本では、手で探る意味を持つ「摸」の代わりに、書き換え字の「模」を用いた「暗中模索」が広く使われています。
精選版『日本国語大辞典』は、日本語の用例として島村抱月が1906年に発表した『囚はれたる文芸』を挙げています。
少なくとも明治時代の終わりごろには、現在と同様に、手がかりのない状態を表す言葉として日本語の文章に用いられていたことが分かります。
暗中模索についてのFAQ
故事の史実性や原典の表記など、由来を理解するうえで気になる点を整理します。
許敬宗のやり取りは史実ですか?
許敬宗は『旧唐書』や『新唐書』にも伝記がある実在の人物です。
ただし、暗中摸索の会話は人物の逸話を集めた『隋唐嘉話』に記されたものであり、実際の発言をそのまま記録したと証明できるわけではありません。
歴史上の人物にまつわる伝承的な逸話として、史実そのものとは区別して読むのが適切です。
許敬宗と四人の詩人は同じ時代の人物ですか?
同じ時代ではありません。
何遜、劉孝綽、沈約、謝朓は南朝で活躍し、唐代に生きた許敬宗より前の世代に当たります。
許敬宗は実際の知人としてではなく、後世まで名の知られた優れた文人の例として四人を挙げました。
原典にも「暗中模索」と書かれていますか?
原典の表記は、手で探る意味の「摸」を使った「暗中摸索」です。
日本で一般的な「暗中模索」は、「摸索」を「模索」と書き換えた表記であり、意味に違いはありません。
この故事は努力の大切さを説いた話ですか?
原典は、努力や忍耐を直接説いた話ではありません。
許敬宗の高い自負と傲慢さを印象づける逸話であり、現在の「見通しがなくても試し続ける」という前向きな受け取り方は、後世に定着した意味から生まれたものです。
まとめ
暗中模索は「あんちゅうもさく」と読み、手がかりがないまま、方法や解決策をあれこれ試しながら探すことを意味します。
由来は唐代の劉餗が著した『隋唐嘉話』にあり、許敬宗が「何遜、劉孝綽、沈約、謝朓ほどの文人なら、暗闇の中で手探りしても見分けられる」と語った逸話から生まれました。
原典では許敬宗の自信と皮肉を表す言葉でしたが、後世には暗闇で手探りする情景が独立し、見通しの立たない状況で試行錯誤するという現在の意味へ変化しました。
一般的には「暗中模索」と書きますが、原典に近い「暗中摸索」も正しい表記です。


