四面楚歌の故事成語をわかりやすく紹介

「四面楚歌」とは、周囲が敵で囲まれており、味方がいなくて助けを求めることができない状況を指します。

この言葉の由来は、沛公(劉邦)率いる漢軍が、項王(項羽)の軍に追い詰められ、砦に立て篭もった時の出来事です。

兵士が減り、食料も底をつき、漢軍に何重にも包囲されたある夜、項王は漢軍が楚の歌を歌っているのを聞きました。

これに驚いた項王は、自分の出身地である楚の兵士まで漢軍に取り込まれたのかと思い、酒を飲みながら漢詩を詠み、もう手が打てないと嘆きました。

『史記』は、中国・前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された、中国史上最高の歴史書とされています。

その中の『項羽本紀』に収録されている『四面楚歌』は、現代の日本でも「敵や反対勢力に囲まれて孤立していること」を表す言葉として広く使われています。

史記とは?

史記は、中国の前漢時代に司馬遷(しばせん)によって編纂された歴史書です。

全130巻からなるこの書物は、中国の古代から前漢までの歴史を網羅しており、中国史上初の本格的な歴史書として非常に高く評価されています。

史記の概要

編纂者: 司馬遷(紀元前145年 – 紀元前86年頃)

編纂期間: 前漢時代、主に武帝の治世(紀元前141年 – 紀元前87年)の間

巻数: 全130巻

史記の構成

『史記』は以下の五つの部分から構成されています。

本紀(ほんき): 帝王の年代記。全12巻で、伝説の皇帝である黄帝から前漢の武帝までの歴代君主の事績を記述。

表(ひょう): 年表。全10巻で、歴代の君主や主要な事件の年代を示す。

書(しょ): 政治、経済、文化などの制度に関する記録。全8巻。

世家(せいか): 王侯の家系の記録。全30巻。

列伝(れつでん): 各時代の重要人物や異民族に関する伝記。全70巻。

史記の特徴

多面的な視点: 『史記』は帝王だけでなく、官僚、武将、学者、詩人など多岐にわたる人物の伝記を含んでおり、社会の多層的な視点から歴史を描いています。

物語的手法: 司馬遷は単なる年表や事実の羅列ではなく、物語的手法を用いて人物や出来事を生き生きと描写しているため、文学的価値も高いです。

史学的手法: 司馬遷は多くの資料を参照し、現地調査を行い、自らの見解を加えるなど、歴史学的な手法を駆使している点で画期的です。

司馬遷と史記の影響

司馬遷は、自身の父である司馬談の遺志を継ぎ、『史記』の編纂を始めました。彼は、宦官としての困難な立場や、李陵事件での苦難を乗り越えながらも、この大作を完成させました。

史記はその後の中国の歴史書編纂の模範となり、『漢書』、『後漢書』、『三国志』などの後続の歴史書に多大な影響を与えました。

また、日本を含む東アジアの歴史学や文学にも大きな影響を与えています。

このように、史記は単なる歴史書にとどまらず、その文学的価値、史学的手法、多面的な視点によって、古今東西の歴史書の中でも特に高い評価を受け続けています。

四面楚歌の由来と起源

紀元前202年、中国の安徽省宿州市霊璧県で行われた垓下の戦いは、楚軍の項羽と漢軍の劉邦との間で起きた楚漢戦争の中心的な戦いです。

この戦いで項羽が戦死し、劉邦の勝利が決定し、楚漢戦争は終結しました。

劉邦の漢軍は、韓信が30万の兵を率いて先鋒を務め、孔藂と陳賀が側面を固め、劉邦自身が総大将として指揮を執りました。一方の楚軍は項羽が率いる10万の兵でした。

韓信は最初に項羽と激戦を繰り広げましたが、劣勢に陥り後退しました。しかし、孔藂と陳賀が楚軍を攻撃し、再び韓信がこれを支援すると、楚軍は大敗しました。

敗れた項羽は防塁に籠り、漢軍はその周囲を幾重にも包囲しました。

夜間、項羽は漢軍の四方から楚の歌声が聞こえてきたことに驚き、「漢軍はすでに楚を占領したのか、楚の人々が漢軍に加わってしまったのか」と嘆きました。この出来事から、「四面楚歌」という言葉が生まれました。

形勢を悟った項羽は別れの宴を開き、愛妾である虞美人や愛馬の騅との別れを惜しみ、自らの詩で悲しみを表現しました。

宴が終わると、項羽は残る八百余りの兵と共に夜間に脱出しましたが、漢軍に追われました。項羽は漢軍の中に突入し、数々の戦果を挙げましたが、最終的には自らの手で自刎しました。

項羽の死により楚漢戦争は終結し、劉邦は中国を統一し、約400年にわたる漢王朝の基礎を築くこととなりました。

垓下の戦いとは?

垓下の戦いは、紀元前202年に中国の安徽省宿州市霊璧県で行われた、楚漢戦争の決定的な戦いです。

この戦いで、楚軍の項羽が漢軍の劉邦に敗れ、楚漢戦争が終結しました。この戦いは、劉邦が中国を統一し、漢王朝を樹立する契機となりました。

背景

楚漢戦争は、秦王朝の滅亡後、中国の覇権を巡って劉邦(漢)と項羽(楚)との間で行われた戦争です。垓下の戦いは、この長い戦争の最後の大決戦でした。

戦力と戦術

漢軍

総指揮: 劉邦
先鋒: 韓信(兵力: 30万)
側面支援: 孔藂、陳賀
後方支援: 周勃、柴武

楚軍

総指揮: 項羽(兵力: 10万)

漢軍は、圧倒的な兵力差を背景に巧妙な戦術を展開しました。

韓信が先鋒として攻撃を仕掛け、劣勢になった際には後退するフリをして楚軍を引き込みました。

孔藂と陳賀が側面から楚軍を攻撃し、韓信が再び前線に戻って楚軍を挟撃しました。この連携プレーにより、楚軍は大敗しました。

四面楚歌

戦いの夜、項羽は漢軍の四方から楚の歌声が聞こえるのを耳にしました。

これにより、項羽は自軍が完全に包囲されており、故郷の兵士までもが漢軍に加わっていると感じ、絶望しました。この状況が「四面楚歌」という言葉の由来です。

項羽の最期

項羽は形勢不利を悟り、最後の別れを告げる宴を開きました。

愛妾の虞美人や愛馬の騅との別れを惜しみ、詩を詠みました。その後、項羽は少数の兵を率いて脱出を試みましたが、漢軍に追い詰められました。

東城での最後の戦いでは、数千の漢軍に対してわずか28騎で突撃し、多くの敵を討ち取るも、最終的には自ら命を絶ちました。

戦いの結末と影響

項羽の死により、約5年間続いた楚漢戦争は終結しました。劉邦は中国全土を統一し、漢王朝を樹立しました。これにより、漢王朝は約400年間続くこととなりました。

垓下の戦いは、中国史における重要な転換点であり、「四面楚歌」や「垓下の歌」といった多くの故事成語の背景となっています。この戦いの詳細な描写は、『史記』の「項羽本紀」に記されています。

四面楚歌を使った例文を紹介

例文: 政権の汚職スキャンダルが発覚し、首相は四面楚歌の状態に陥った。

解説: 政治のスキャンダルが発覚し、首相が周囲の支持を失って孤立している状況を示しています。

例文: 競合企業が次々と新製品を発売する中、わが社の旧式製品では市場で四面楚歌の状態だ。

解説: 競争が激化し、会社が競合他社に対抗できず孤立している状況を表しています。

例文: 彼はプロジェクトの失敗で同僚からも上司からも責められ、まさに四面楚歌の状態にあった。

解説: プロジェクトの失敗により、彼が職場で孤立し、誰からも支持を得られない状態を示しています。

例文: 試合終盤で主力選手が負傷し、さらにファウルトラブルも重なってチームは四面楚歌となった。

解説: 主力選手の負傷とファウルトラブルにより、チームが非常に厳しい状況に追い込まれたことを表しています。

例文: 家族全員が彼の決断に反対し、彼は四面楚歌の状況で意見を変えざるを得なかった。

解説: 家族全員から反対され、彼が孤立して決断を覆さざるを得なくなった状況を示しています。

例文: 試験直前に風邪を引き、さらに勉強時間も不足していて、彼は四面楚歌の状態で試験に臨んだ。

解説: 試験前に体調不良と勉強不足が重なり、彼が不利な状況に陥ったことを表しています。

例文: 経済政策の失敗により、政府は国内外から非難を浴び、四面楚歌に陥っている。

解説: 経済政策の失敗で政府が国内外から非難され、孤立無援の状況にあることを示しています。

四面楚歌の状況は、どの例文においても、主人公や主体が周囲からの支援や支持を失い、孤立している状態を強調しています。

各文脈において、状況が非常に厳しいことを伝えるために使われるため、しばしば絶望的なニュアンスを含みます。

まとめ

四面楚歌(しめんそか)は、中国の歴史から由来する故事成語で、特定の状況を象徴する言葉です。以下に「四面楚歌」についてまとめます。

語源と由来

垓下の戦い: 紀元前202年、中国の楚漢戦争において、項羽率いる楚軍が劉邦率いる漢軍に敗れた際の出来事が由来とされます。

四面楚歌の状況: 戦いの夜、楚軍の防塁に籠りながら漢軍の四方から楚の歌声が聞こえ、自軍が敵に囲まれて孤立無援の状況にあることを悟った項羽の体験が基になっています。

比喩としての使用

孤立無援の状態: 敵や反対勢力に囲まれて、周囲に味方がなく、助けを求めることができない状況を指します。

絶望的な状況: 周囲の状況が非常に厳しく、打開策が見えない絶望的な状況を表す表現として用いられます。

使用例と解説

政治やビジネスの分野: スキャンダルや経営危機などで、支持や援助を失い、孤立した状況を「四面楚歌の状態にある」と表現します。

個人の体験: 身近な人間関係や学業、職場での失敗や問題によって、周囲との関係が逼迫し、孤立している状況を指します。

日本語における定着

文学や日常会話: 中国の史記や漢詩からの引用として、日本語でも文学や日常会話で頻繁に用いられる成語です。

意味の共有: 読者や聞き手が四面楚歌のイメージを共有しており、その状況の重さや絶望感を理解しやすい点が特徴です。

現代の使用例

メディアや報道: 政治や経済の危機に際して、メディアや報道での使用が見られます。

文化的な引用: 文化や歴史に造詣の深い人々が、四面楚歌の故事成語を引用して深い意味を込めた表現をすることがあります。

「四面楚歌」は、古代中国の歴史的な出来事から派生した言葉でありながら、現代でもその強い意味合いが色濃く残る故事成語です。