会稽の恥の故事成語の意味とは?

会稽の恥とは、これまでに経験したことがないほどの大変な恥ずかしさや屈辱を指します。

会稽の恥の由来は、越の国の王、勾践は呉の国との戦いに敗れ、会稽山に逃げました。

その後、呉の王、夫差の家臣として仕えることで恥を忍び生き延びました。勾践が越の国に戻った後、動物の苦い胆を舐めて会稽での恥を忘れず、呉の王に復讐する決意を固めたことから、この表現が生まれました。十八史略より出典。

また、「会稽の恥をそそぐ」という言い回しも同じ意味で使われます。

これは「臥薪嘗胆」の「嘗胆」に相当します。臥薪嘗胆とは、将来のために苦労や辛抱をすることを意味します。

十八史略とは?

十八史略は、南宋の曾先之によって編纂された歴史書で、初学者向けの歴史読本です。

三皇五帝の伝説時代から南宋時代までの十八の正史を要約し、編年体で記述しています。「十八史」とは、『史記』から『新五代史』までの17の歴史書に曾先之の生きた宋の時代を加えたものを指します。

最古の刊行時期は至治年間(1321年 – 1323年)で、曾先之が編纂したものは二巻本でしたが、現在流布しているものとは異なります。

その後、明代に複数の編纂者によって大幅な改訂が行われ、現在の七巻本となりました。

二巻本は明の陳殷によって、帝王世紀や朱子学の書を基に注釈が加えられました。

陳殷の注釈は「陳殷音釈」と呼ばれます。続いて、明の建陽で出版を手がけた劉剡が大規模な補筆・改変を行い、七巻本が完成しました。劉剡の改変内容は次の通りです。

朱熹の『資治通鑑綱目』に従い、三国時代の正統な王朝を魏から蜀に変更しました。二巻本では魏が正統とされていました。このため、三国時代の記述は大きく改訂されました。

二巻本では南宋最後の皇帝として、臨安で元に降伏した恭帝が取り上げられ、その後の記述は元を避けて簡略化されていました。一方、七巻本では、首都陥落後も抵抗を続けた文天祥の残存勢力が福建省や香港で擁立した端宗・祥興帝について詳細に記されています。

登場人物は約4,500人です。陳殷は『十八史略』が正史から記述を抜粋して作られたと述べていますが、現在の研究では『資治通鑑』などからの抜粋も多いことがわかっています。

また、野史(勅選書以外の民間人によって書かれた歴史書)も多く含まれています。特に北宋・南宋に関する部分は、曾先之の在世中に『宋史』が完成しなかったため、野史や著者・関係者の記録に依存しているとされていますが、続長編や続通鑑以外の史料については確認されていません。

会稽の恥の言い換え表現を紹介

会稽の恥に似た意味の故事成語や言い回しはいくつかあります。これらの成語は、過去の恥を晴らすための努力や、屈辱を乗り越えようとする姿勢を示します。

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

意味: 苦労を重ねながら、将来の成功を目指して忍耐し続けること。

由来: この成語は、中国の春秋時代に越の国の王・勾践が呉の国に敗れた後、薪の上に寝て苦しみ、苦い胆を舐めて屈辱を忘れないようにしたという故事に由来します。最終的に彼は呉に復讐を果たしました。

雪中送炭(せっちゅうそうたん)

意味: 困難な時期に、適切な援助や助けを提供すること。

由来: 雪の中で炭を送ることは、非常に貴重で困難な状況での助けを意味します。この成語は、困難な状況での助けや支援を象徴していますが、勾践が復讐を果たすために過酷な状況に耐えたことと同じ精神を持つと言えます。

千載一遇(せんざいいちぐう)

意味: 非常に稀な、またとない機会やチャンス。

由来: 千年に一度しかないほどの珍しい機会を意味します。この成語は、勾践のように長い時間をかけて一度のチャンスをつかむために努力し続けることに似ています。

仏の顔も三度(ほとけのかおもさんど)

意味: どんなに寛容な人でも、我慢には限界があるということ。

由来: 仏のように寛大な人でも、同じ過ちを繰り返されると我慢できなくなるということから来ています。勾践が呉に対して復讐心を抱き続けた姿勢に似た精神です。

復讐の鬼(ふくしゅうのおに)

意味: 復讐に取り憑かれている状態を表す言葉。

由来: 復讐に取り憑かれた人物を鬼に例えて表現することから来ています。勾践が復讐を果たすために冷酷に取り組んだ姿勢に通じるものがあります。

これらの成語は、「会稽の恥」と同様に、屈辱を乗り越えようとする努力や、過去の恥を晴らすための決意を表現しています。

会稽の恥の故事成語の例文を紹介

例文:「彼は学生時代に試験で大失敗をし、その後、十年の努力で名誉を取り戻した。まさに会稽の恥をそそいだと言える。」

解説: この例文では、過去に大きな失敗をして屈辱を味わった人物が、その後の努力によって名誉を回復したことを表しています。「会稽の恥」を用いて、過去の恥を晴らした成就を強調しています。

例文:「競技大会での失敗をきっかけに、彼は毎日の練習に励み続けた。最終的には国際大会で優勝し、会稽の恥を晴らした。」

解説: ここでは、競技大会での過去の失敗から立ち直り、長期間の努力の末に成功を収めたという話です。「会稽の恥」を用いることで、過去の屈辱を克服した成功を示しています。

例文:「ビジネスでの敗北を経験した後、彼は徹底的に準備を整えて再挑戦し、見事に成功を収めた。これで会稽の恥をそそぐことができた。」

解説: ビジネスでの失敗から再挑戦し、成功を収めた人物を例に挙げています。「会稽の恥」を用いて、過去の失敗から立ち直ったことを強調しています。

例文:「彼女の過去のミスがあったが、それを乗り越えて新たなプロジェクトで成果を上げた。これで会稽の恥を晴らせたと思う。」

解説: 過去のミスや失敗を乗り越えて、成功を収めたことを示しています。「会稽の恥」を使って、過去の失敗を取り戻すことができたという意味を含めています。

例文:「かつての失敗を乗り越えるために努力を重ね、今回の成功を達成した。これはまさに会稽の恥を晴らした瞬間だ。」

解説: この例文では、過去の失敗を克服し、成功を達成したことを指摘しています。「会稽の恥」を用いて、屈辱を晴らした成功の達成感を表しています。

これらの例文は、「会稽の恥」を用いることで、過去の屈辱や失敗を乗り越えた成功や成果を強調しています。それぞれの文脈で、この成語がどのように使われるかを理解することで、成語の使い方や意味を深く把握できるでしょう。

まとめ

会稽の恥は、中国の歴史に由来する故事成語で、屈辱を受けた後にその恥を晴らすために努力し、成功を収めることを意味します。以下に、その詳しい背景や意味について説明します。

由来

「会稽の恥」は、中国戦国時代の越の国の王、勾践(こうせん)の物語から来ています。勾践は呉の国との戦いに敗れ、会稽山(かいけいざん)に逃げました。その後、呉の国の王、夫差(ふさ)の家臣となり、屈辱を耐えながらも生き延びました。

勾践はその後、越の国に戻り、呉の王に対する復讐を心に決めました。彼はその決意を貫くために、動物の苦い胆を舐めたり、薪の上に寝たりして、自分に対して厳しい訓練と辛抱を続けました。最終的に勾践は呉の国を征服し、復讐を果たしました。この物語から「会稽の恥」は、過去の屈辱を乗り越えて成功を収めることを意味する成語として使われるようになりました。

意味

過去の屈辱を晴らす: 「会稽の恥」は、かつて受けた屈辱や恥ずかしい経験を乗り越え、成功や成果を上げることでその恥を晴らすことを指します。

忍耐と努力: この成語は、屈辱を受けた後に耐え忍び、努力を重ねることが重要であることを示しています。勾践が厳しい訓練と苦しみを経て復讐を果たしたように、逆境を乗り越えるための努力が必要です。

使い方の例

個人的な成就: 「会稽の恥」を使って、自分の過去の失敗や屈辱を乗り越えて成功を収めた経験を表現する際に使います。

例: 「過去の試験で大きな失敗をしたが、長い時間をかけて努力し、ついに成功を収めた。これで会稽の恥を晴らせた。」

歴史や文学の文脈: 歴史的な人物や物語を語る際に、過去の屈辱を乗り越える話を説明するために使われることもあります。

例: 「勾践の物語は、会稽の恥を晴らすための典型的な例として語り継がれています。」

「会稽の恥」は、忍耐や努力、復讐の物語を象徴する成語であり、過去の失敗や屈辱を乗り越えるための決意や行動を強調する際に使われます。