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和して同ぜずとは?意味・由来と『論語』の教えを解説

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「和して同ぜず」は「わしてどうぜず」と読み、人と協調しながらも、考えなしに同調しないことを意味する故事成語です。

周囲との関係を大切にしつつ、自分の判断や信念も失わないという肯定的な教えとして使われます。

由来は、古代中国の思想家・孔子の言葉を収めた『論語』子路篇にある「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」です。

ここでは、「和」と「同」の違いや自然な使い方を確認したうえで、この言葉が生まれた思想的な背景と後世への伝わり方を紹介します。

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「和して同ぜず」の意味・読み方・使い方

「和して同ぜず」の基本情報は、次のとおりです。

・読み方:わしてどうぜず

・意味:人と穏やかに協調する一方で、道理を考えずに相手へ同調したり、むやみに迎合したりはしないこと

・性質:協調性と主体性を両立させる肯定的な教え

大切なのは、「和すること」と「同ずること」を同じものとして扱わない点です。

ここでいう「和」は、相手との違いを認めながら、争いを避けて協力することを表します。

一方の「同」は、相手の意見が正しいかどうかを自分で考えず、表面的に合わせることを指します。

つまり、「和して同ぜず」が勧めているのは、ただ反対する態度でも、周囲に流される態度でもありません。

相手を尊重し、必要な協力をしながら、納得できない点については自分の意見を持つ姿勢です。

どのような場面で使う言葉なのか

「和して同ぜず」は、職場の会議、学校での話し合い、友人関係、地域活動など、周囲との協力と個人の判断の両方が必要な場面で使えます。

特に、多数派へ無条件に合わせるのではなく、関係を壊さない形で異なる意見を示した人物や態度を評価するときに適しています。

自然な例文は、次のとおりです。

・彼はチームの方針には協力するが、問題があると感じた点は率直に伝える、和して同ぜずの人だ。

・和して同ぜずの姿勢を大切にすれば、意見の違いがあっても建設的な話し合いを続けられる。

・友人の考えを尊重しながらも、納得できないことには賛成しないところに、彼女の和して同ぜずの態度が表れている。

・組織には、周囲と協力しつつ必要な異論も述べる、和して同ぜずの精神が求められる。

「自分の意見を曲げない」という意味ではない

「和して同ぜず」は、何があっても意見を変えないことや、他人と距離を置くことを勧める言葉ではありません。

相手の意見に十分な理由があれば、自分の考えを見直すことも主体的な判断に含まれます。

意見の違いを理由に相手を攻撃したり、協力を拒んだりする態度は、「和する」という部分から外れます。

反対の意味に近い言葉としては、自分の考えを持たずに他人の意見へ従う「付和雷同」があります。

「和して同ぜず」は、付和雷同を避けながら、孤立や対立にも陥らないための姿勢を示しているのです。

出典は『論語』子路篇

「和して同ぜず」の直接の出典は、『論語』の第十三篇にあたる「子路篇」です。

原文と書き下し文は、次のようになります。

原文

子曰、君子和而不同、小人同而不和。

書き下し文

子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。

現代語に直すと、次のような意味です。

孔子は言った。

「徳のある立派な人は周囲と調和するが、むやみに同調はしない」

「器量の小さい人は人に同調するが、本当の調和には至らない」

現在使われる「和して同ぜず」は、この一文の前半を取り出した表現です。

漢文の「和而不同」を音読みして、「和而不同(わじふどう)」という四字熟語の形で表すこともあります。

特定の出来事を描いた故事ではない

故事成語というと、歴史上の人物が危機に直面する物語や、戦いをきっかけに生まれた言葉を想像するかもしれません。

しかし、『論語』のこの章には、孔子が誰に向かって語ったのか、どのような事件を念頭に置いていたのかは記されていません。

登場人物の判断と結果を描く物語ではなく、君子と小人の違いを対照的に示した短い言葉です。

そのため、「和して同ぜず」の由来を説明する際に、孔子と弟子の会話や具体的な事件を想像で付け加えるのは適切ではありません。

孔子が「君子」と「小人」を対比した理由

孔子は、紀元前六世紀から紀元前五世紀にかけて、中国の春秋時代末期に活動した思想家です。

出身地の魯では、君主の権威が弱まり、有力な貴族が政治の実権を握るなど、従来の秩序が揺らいでいました。

諸国の対立も続くなかで、孔子は、地位や力だけに頼るのではなく、礼や道徳によって人と社会を整えることを重視しました。

『論語』でいう「君子」は、単に身分が高い人だけではなく、徳を身につけようと努める理想的な人物を指すことが多い言葉です。

これに対する「小人」は、目先の利益や自分の都合を優先する人物として描かれます。

「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という対比では、両者の違いが人付き合いの姿勢に表れています。

君子は、自分の判断基準を持っているため、他人と意見が違っても関係を保つことができます。

小人は、利害によって相手に合わせるため、表面上は同じ意見でも、利害が変われば関係が崩れかねません。

孔子は、全員が同じことを言う状態ではなく、異なる考えを持つ者どうしが礼を守って共にいられる状態を、望ましい人間関係として示したと考えられます。

孔子以前にも語られていた「和」と「同」の違い

「和」と「同」を区別する考えは、『論語』の一文だけに現れるものではありません。

古代中国の複数の典籍には、異なるものを生かして調和をつくる「和」と、同じものを重ねるだけの「同」を分けて考える記述があります。

ただし、これらの記述が孔子の言葉へ直接つながったと断定できるわけではなく、古代中国に共有されていた思想的な背景として見るのが適切です。

『国語』鄭語の「和実生物、同則不継」

古代中国の歴史書『国語』の鄭語には、史伯の言葉として「和実生物、同則不継」とあります。

日本語では、「和は実に物を生じ、同は則ち継がず」と読みます。

異なるものが釣り合えば新しいものを生み出せる一方、同じものだけを重ねても発展は続かない、という趣旨です。

本文では、土と金・木・水・火を組み合わせて多くの物を生み出すことや、複数の味や音を調えることが「和」の例として示されています。

この考え方では、違いは調和を壊す障害ではなく、豊かな結果を生み出すために必要な要素です。

『左伝』で晏嬰が料理にたとえた「和」

『春秋左氏伝』昭公二十年にも、「和」と「同」の違いを語る有名な場面があります。

斉の景公が、自分の意見にいつも賛成する家臣の梁丘拠を見て、自分とよく調和している人物だと評価しました。

これに対して、政治家の晏嬰は、梁丘拠の態度は「和」ではなく「同」だと指摘します。

晏嬰は「和」を羹、つまり具材や調味料を合わせて作る汁物にたとえました。

料理人は、水、火、酢、醤、塩、梅など性質の異なるものを組み合わせ、足りない味を補い、強すぎる味を抑えて料理を整えます。

国君と家臣の関係も同じで、国君の判断に不足があれば家臣が補い、誤りがあれば正すことで政治は調和すると説明しました。

国君が賛成すれば家臣も賛成し、国君が反対すれば家臣も反対するだけでは、水に水を足すようなもので、新しい働きは生まれません。

この場面は、「和」が単なる仲のよさではなく、異なる立場から補い合う関係を意味していたことを具体的に伝えています。

朱熹は「和」と「同」をどう解釈したのか

『論語』は孔子自身が書いた本ではなく、孔子と弟子たちの言行が、孔子の死後に弟子や後世の門人によってまとめられた文献です。

時代が下るにつれて複数の伝本や注釈が生まれ、後漢以後に現在へつながる本文が整えられていきました。

南宋の儒学者・朱熹は、『論語集注』で「和して同ぜず」の章に注釈を付けています。

朱熹は「和」を「乖戻の心なし」、「同」を「阿比の意あり」と説明しました。

「乖戻」とは、道理に背いて相手とぶつかろうとすることを指し、「阿比」とは、相手におもねって仲間になることを意味します。

この解釈に従えば、「和」は違いがあっても敵対心を持たずに付き合う態度であり、「同」は正しさよりも人間関係や利害を優先して同調する態度です。

朱熹の注釈は、協調と迎合の違いを道徳上の問題として明確にし、『論語』を学ぶ後世の人々に大きな影響を与えました。

日本では処世の教えとしても読まれた

『論語』は日本にも伝わり、学問や道徳教育の書として長く読まれてきました。

近代日本の実業家・渋沢栄一も、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」を人付き合いの心得として取り上げています。

渋沢は、社会の中で生きる以上、他人と調和して共同する必要がある一方、自分の見識に合わないことへ安易に賛成してはならないと説きました。

また、外から見ると「調和」と「雷同」はどちらも多数の一致に見えるものの、調和は道理を重んじ、雷同は目先の利益に左右される点が異なると説明しています。

この読み方は、「和して同ぜず」が古代の政治や人間関係だけでなく、近代の組織や社会生活にも通じる教えとして受け継がれた一例です。

現在でも、異なる意見を排除せず、同時に自分の判断を手放さない姿勢を表す言葉として、学校、企業、団体などの理念に用いられています。

「和して同ぜず」に関するよくある質問

「和して同ぜず」は実話から生まれた言葉ですか?

特定の事件を描いた実話から生まれた言葉ではありません。

『論語』子路篇に記された孔子の短い教えが直接の由来で、発言の具体的な状況や聞き手は伝わっていません。

一方、『左伝』には、晏嬰が景公へ「和」と「同」の違いを料理にたとえて説明した実話形式の記述があります。

原典に「和して同ぜず」という言葉がそのままありますか?

原典の漢文には「君子和而不同、小人同而不和」とあります。

「和して同ぜず」は、その前半に日本語の訓読を施した表現です。

原文の四字を音読みした「和而不同(わじふどう)」も、ほぼ同じ意味で使われます。

「小人」は身長の低い人という意味ですか?

ここでいう「小人」は、体格を表す言葉ではありません。

『論語』では「君子」と対比され、道徳よりも目先の利益や自分の都合を優先する人物を指す言葉として使われています。

現代の会話で他人を直接「小人」と呼ぶと強い侮蔑に聞こえるため、使用する場面には注意が必要です。

「和を以て貴しとなす」とは何が違いますか?

「和を以て貴しとなす」は、協調や親しみを大切にする教えで、聖徳太子の十七条憲法第一条にある言葉として知られています。

一方、「和して同ぜず」の出典は『論語』子路篇で、協調しても安易には同調しないことを表します。

どちらも「和」を大切にしていますが、「和して同ぜず」は、調和と意見の一律化は異なるという点を特に明確にした言葉です。

まとめ

「和して同ぜず」は、人と協調しながらも、考えなしに周囲へ同調しないという意味の故事成語です。

『論語』子路篇の「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」に由来し、主体性と協調性を両立させる君子の姿勢を示しています。

この章そのものには具体的な物語がありませんが、『国語』や『左伝』にも「和」と「同」を区別する考えが記されており、古代中国では異なるものが補い合うことに価値が見いだされていました。

朱熹や渋沢栄一も後世にこの言葉を解釈し、迎合せず、孤立もしない人付き合いの教えとして伝えています。

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