飛鳥(ひちょう)尽(つ)きて良弓(りょうきゅう)蔵(かく)ると読みます。
空を舞う鳥が姿を消せば、良い弓も使われることはなくなる。
同様に、賢い兎がいなくなれば、それまで猟に使われていた犬も不要とされ、処分される。
つまり、必要な時にのみ役立ち、必要性がなくなると忘れ去られることを意味する。
敵が滅んだ後は、これまで味方のために奮闘した功労者も不要視され、処分される。役に立つ者であっても、その必要性がなくなれば逆に罰せられることもある。
ここで「飛鳥」とは空を舞う鳥、「狡兎」とは賢いウサギ、「走狗」とは猟犬を指す。
飛鳥尽きて良弓蔵るのエピソードを紹介
この物語は、史記に由来します。史記は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。
范蠡(はんれい)は、越王勾践を助けて呉王夫差を打ち破った功臣でした。彼は、勾践の人柄に疑問を抱き、野に下りました。
彼が同僚の大夫の種に送った手紙には、君もまた功臣でありながら越にとどまることは危険であると警告し、早急に勾践の元を離れるように促した言葉が記されています。
狡兎死して走狗煮らるのエピソードを紹介
「狡兎死して走狗煮らる」は、日本の古いことわざで、その由来は中国の史記にさかのぼります。
史記によれば、中国の戦国時代に、越の国の王である勾践(こうせん)は、呉の国の王である夫差(ふさい)によって屈辱を受けていました。この時、呉の国の外交官である伍子胥(ごししょ)が、勾践のもとにやってきて、勾践を励まし、支援しました。
伍子胥は、あるときに、呉の国の夫差によって、役立たずとみなされたり罰せられたりすることを避けるために、狡猾で賢明な行動を取りました。そして、「狡兎死して走狗煮らる」という言葉を勾践に送りました。
このことわざの意味は、狡猾な者が捕まってしまった後に、その後を追う者も同じく処罰されるということを示しています。伍子胥は、勾践に対して、狡猾な行動や策略を用いた者が捕まっても、その後を追う者も同じ運命にあると警告したのです。
この故事は、狡猾さや策略を用いることが一時的な成功をもたらすかもしれないが、最終的には失敗に終わることを教えています。
史記とは?
史記(しき)は、中国の前漢時代の歴史書であり、司馬遷(しばせん)によって編纂されました。紀元前91年に完成しました。史記は、中国の歴史や伝説、伝統、文化などに関する包括的な記録を提供しています。
この書物は、編年体の形式で、『本紀』、『表』、『書』、『世家』、『列伝』といったセクションに分かれています。
『本紀』には、皇帝の伝記が含まれており、『表』は主要な出来事を年代順に列挙しています。『書』は法律や制度に関する文章を収録しています。『世家』は諸侯や王朝の歴史を扱い、『列伝』は個々の人物の伝記を収めています。
史記は、中国の古代史の基本的な資料として非常に重要視されています。その記述は歴史的事実と伝説が混在している場合もありますが、中国の政治、社会、文化に関する理解を深める上で貴重な情報源となっています。
范蠡ってどんな人?
范蠡(はんれい)は、中国の春秋時代から戦国時代にかけて活躍した人物で、特にその名声は越国(現在の浙江省付近)で知られています。彼は著名な政治家、水利技術者、外交官として知られています。
范蠡は、越国の王である勾践(こうせん)に仕え、その統治を支えました。勾践は、范蠡の助けを得て呉国(現在の江蘇省南部)を打倒し、中国の統一に貢献しました。特に有名なのは、范蠡が戦略的な水運技術を用いて呉国の水軍を撃破したことです。
しかし、統一後の越国で范蠡は政治から身を引き、荒廃した湖畔に移り住んで隠遁生活を送ったとされています。彼は政治の腐敗や戦乱を嫌い、自然と調和した生活を求めたとされています。
范蠡の名声は、その政治手腕や技術的な才能だけでなく、賢明さや節操を重んじた人柄にも由来しています。彼は中国史上で非常に尊敬される人物の一人であり、多くの文学作品や伝説に登場することでも知られています。
まとめ
飛鳥尽きて良弓蔵ると狡兎死して走狗煮らるは、ともに日本のことわざであり、それぞれ異なる文脈で用いられますが、共通点もあります。
「飛鳥尽きて良弓蔵る」: 空を飛ぶ鳥が尽きてしまうと、良い弓は使われずにしまわれてしまう、という意味です。つまり、必要な時にしか使われないものは、必要性がなくなると忘れ去られるということを示しています。
「狡兎死して走狗煮らる」: 狡猾な兎が死んでしまうと、それを追っていた走狗(猟犬)も同じような運命にある、という意味です。つまり、狡猾な行動や策略を用いた者が捕まってしまうと、その後を追っていた者も同じような運命にあるということを示しています。
これらのことわざの共通点は、一つの出来事や状況が終わると、それに関連したものも同様の運命をたどるということです。
特定の状況や必要性がなくなると、それに関連したものも不要とされたり忘れ去られたりするという考え方が共通しています。