塞翁が馬とは?どんな意味なの?

塞翁が馬という言葉は、幸運な出来事が必ずしも幸運とは限らず、逆に不運な出来事が本当に不運であるかどうかはわからないという意味です。

この言葉は、将来のことを予測することが難しいというニュアンスでも使われます。

なお、「塞翁」という言葉は、塞(とりで)という名前のおじいさんとは関係ありません。

ここでの「塞」とは「とりで」の意味であり、「塞翁」は「とりでに住んでいるおじいさん」または「とりでのそばに住んでいるおじいさん」を指します。

塞翁が馬の由来を紹介

塞翁が馬の故事成語がでるのは劉安『淮南子・人間訓』という書物からになります。

国境の砦の近くに、馬の調教に長けた老人(塞翁)が住んでいた。

ある日、その老人の飼っている馬が胡人の土地に逃げてしまった。

近隣の人々は同情したが、塞翁は「これがいいことにならないかもしれない」と言った。

数か月後、馬は胡人の駿馬を連れて帰ってきた。

近隣の人々は喜び、祝福したが、塞翁は「これが不幸にならないだろうか」と言った。

その後、塞翁の息子がその馬に乗って足を骨折する大怪我をした。近隣の人々は再び同情したが、塞翁は「これがいいことにならないだろうか」と言った。

1年後、胡人が国境を越えて攻め入ってきた。国境の働き盛りの者たちは戦争に巻き込まれ、10人中9人が戦死した。

しかし、塞翁の息子は戦争に参加することなく命を助けられたのである。

淮南子・人閒訓とはどのようなものか?

淮南子・人閒訓(かいなんし・じんかんくん)は、古代中国の儒家の著作であり、劉安(りゅうあん)によって編纂されたとされる文集です。

劉安は紀元前179年から紀元前122年頃にかけて活動した学者・政治家であり、漢代の学者として知られています。

『淮南子』は彼が編纂した複数の篇から成る文集で、その中の一つに「人閒訓」が含まれています。

『人閒訓』は主に人間の生活や行動についての教訓や知恵を述べた章であり、哲学的な議論や倫理的な示唆が含まれています。

具体的に「塞翁が馬」の物語が収録されているのは『人閒訓』の中の一篇です。

この物語は、幸福と不幸、吉と凶がしばしば逆転することを教えるための有名な寓話として知られています。

塞翁が馬の物語は、出来事の本質を見極め、運命の流れに柔軟に対応することの重要性を説く内容です。

『淮南子』全体は、当時の自然や人間のあり方についての多岐にわたる思想が詰まった文集であり、中国古代の学問や思想史において重要な位置を占めています。

人間万事塞翁が馬とは?

塞翁が馬という言葉に関連して、「人間万事塞翁が馬」という表現を見かけることがあります。

これは「塞翁が馬」と同様に、「人間の出来事は全て、幸せか不幸か予測できない」という意味を持ちます。

「人間」を「じんかん」と読む解釈もあり、その場合は「人と人との間」、すなわち社会全体を指す言葉となります。

したがって、「世の中の出来事は全て、幸運か不運か予測がつかない」という意味になります。

塞翁が馬の故事成語を使った例文を紹介

例文: 昇進のチャンスを逃して落ち込んでいたが、後にその会社が倒産してしまった。まさに塞翁が馬だ。

解説: 昇進できなかったことを当初は不運だと感じたが、その後、その会社が倒産したため、昇進しなかったことが結果的に幸運だったという状況を表しています。塞翁が馬の考え方がよく示されています。

例文: 交通事故に遭い、しばらく入院することになったが、その間に家族との絆が深まった。塞翁が馬とはこのことだ。

解説: 交通事故という不幸な出来事が起こったが、その結果として家族との関係が良くなり、最終的には良い方向に転じたことを示しています。

例文: 転職に失敗して落ち込んでいたが、その後、前の会社が大幅なリストラを行った。塞翁が馬だったと思う。

解説: 転職に失敗したことを不幸だと感じていたが、その後のリストラによって転職しなかったことが幸運だったとわかり、結果的に良かったという状況を表しています。

例文: 友人との約束が急にキャンセルになったが、そのおかげで自分の時間ができ、新しい趣味を見つけることができた。まさに塞翁が馬だ。

解説: 約束がキャンセルされたことを当初は残念に思ったが、その時間を使って新しい趣味を見つけることができたため、結果的に良い方向に転じたことを示しています。

例文: 旅行先で大雨に降られて予定が台無しになったが、そのおかげで地元の人と交流し、素晴らしい経験をした。これも塞翁が馬だね。

解説: 旅行中に大雨という不運な出来事があったが、その結果、地元の人との交流という貴重な体験ができたことを示しています。不幸と思える出来事が結果的に幸運に繋がる例です。

これらの例文はすべて、「塞翁が馬」という言葉が示す、幸運や不運は予測できないものであり、どちらも結果的に良い方向に転じる可能性があるという考え方をよく表しています。

まとめ

塞翁が馬は、古代中国の有名な寓話であり、その物語や意味について紹介します。

物語の内容

古代中国、国境の砦の近くに馬の調教に長けた老人(塞翁)が住んでいました。

ある日、塞翁の飼っていた馬が胡人(国境外の異民族)の土地に逃げてしまいます。近所の人々はこれを見て同情しましたが、塞翁は「これが良いことにならないかもしれない」と言います。

数か月後、その馬は胡人の駿馬を連れて帰ってきました。これにより近隣の人々は喜び、祝福しましたが、塞翁は「これが不幸にならないだろうか」と言います。

その後、塞翁の息子が馬に乗って足を骨折する大怪我をします。近隣の人々は再び同情しましたが、塞翁は「これが良いことにならないだろうか」と言います。

そして1年後、胡人が国境を越えて攻め入りました。国境の働き盛りの者たちは戦争に巻き込まれ、多くが戦死してしまいますが、塞翁の息子は戦争に参加せずに命を助けられました。

故事成語としての意味

「塞翁が馬」は、その後の展開で幸福や不幸が逆転することを教える寓話です。

この物語から派生した故事成語として、「塞翁が馬」という言葉が使われ、以下のような意味があります。

幸福と不幸は表裏一体であることを示す: 出来事の本質や結果は、初めに見えた幸福や不幸とは異なる場合があることを示します。人生の出来事は予測不能であり、時には不運に思える出来事が後に幸運につながることもあります。

結果論の考え方: 事態の結果が出揃ってから初めて、その出来事が幸せか不幸かを判断できるという考え方を象徴します。この故事は、一喜一憂せずに落ち着いて出来事を見守り、その結果を受け入れる賢明さを教えます。

予測不能の運命: 人間は将来を予測することができず、不確実性の中で生きていることを示唆します。そのため、出来事がどのように展開するかは誰にもわからないという謙虚さも表現しています。

教訓としての意味

「塞翁が馬」の教訓は、以下のようにまとめられます。

物事を表面的に判断せず、広い視野で捉えることの大切さを教える。

運命や偶然の流れに柔軟に対応し、結果を受け入れる心の持ち方を学ぶ。

一時の幸福や不幸にとらわれず、長期的な視点で人生を見つめることの重要性を強調する。

「塞翁が馬」は、単なる寓話や物語ではなく、人生の知恵や哲学を象徴する重要な故事成語であり、多くの人々にとって参考となる智慧を伝えています。