冬至(とうじ)は、二十四節気の22番目で、天文、暦法、周正などの節気では第1位にあたります。冬至は、1年間の干支の変わり目(年界)としても扱われることがありますが、これは冬至やその前後の月(子月や大雪)に基づく説です。
先天八卦や後天八卦論では、冬至の時点ではまだ陰の気が陽の気を上回っており、年界は立春が陽の気が陰の気を上回る時点とされることが多いです。つまり、年界に関する説にはいくつかの見解があります。
冬至の日は、1年間で太陽の高度が最も低くなるため、北半球では昼間が最も短くなります。
この日を境に、太陽が再び上昇し、陽気が増え始めるとされていますが、八卦論ではまだ陰の気が支配していると考えられ、実際の年の切り替わりは立春であることが多いです。
中国では古くから冬至を含む月を「子月」と呼び、「一陽来復」という言葉が冬至を意味します。
これは、困難が続いた後に幸運が訪れること、または陰気が極まった後に陽気が戻ることを示しています。陰暦10月は坤卦、11月は復卦に対応し、冬至は復卦の時期とされています。
秋分から春分までの期間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方向に昇り、真西からやや南寄りの方向に沈みます。冬至の日には、日の出と日の入りの方向が最も南寄りになります。
また、南回帰線上では冬至の日に太陽が正午に天頂を通過します。北緯66.6度以北の北極圏では極夜、南緯66.6度以南の南極圏では白夜が見られます。日本では、日の出が最も遅い日は冬至から約半月後の1月上旬、日の入りが最も早い日は冬至の約半月前の12月上旬です。北半球では昼が最も短く、夜が最も長くなります(南半球では逆の現象が起こります)。
現在使われている定気法では、太陽黄経270度の時、つまり12月22日頃が冬至とされています。
平気法では、冬至からの経過日数で節気を定義しますが、冬至の基準は定気法と同じです。暦では冬至が発生する日を指しますが、天文学では太陽の視黄経が270度となる瞬間を「冬至」と定義し、その瞬間を含む日を冬至日(とうじび)と呼びます。冬至はまた、次の節気である小寒の前日までの期間を指すこともあります。
『暦便覧』では、「日の南の限りを行い、日の短さが最も進んだ日である」と説明しています。
朔旦冬至(さくたんとうじ)について
古代の中国では、夏王朝以前や周王朝の時代から、子月の初日である大雪や冬至を1年の始まりと考えていました。
近世の日本では、冬至を「唐の正月」と呼ぶことがありますが、これは中国で冬至を元旦としていたことに由来します。
その名残として、現在でも冬至は暦の基準となっています。太陰太陽暦では冬至を含む月を11月と定義しており、19年に1度(西暦の4桁で19の倍数年)に冬至の日が11月1日になることがあります。
これを朔旦冬至と呼びます。太陰太陽暦では、19年間に7回の閏月を挿入する周期を「章」と呼び、古い章から新しい章への移行を「章首」として扱います。章首の年には、前の章の最後の閏月を迎えた後、その年の冬至をもって新しい章が開始されます。章首における冬至の日が必ず朔旦冬至になるように暦法が定められていました。
朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏の原則に従って暦が正確に運用されている証拠とされ、政治の正当性の証明ともなりました。そのため、朔旦冬至は盛大に祝われていました。
中国では古くから行われ、659年には遣唐使が唐の都・洛陽に滞在中に儀式に参加することが許されました。日本では、唐風の儀式を取り入れた桓武天皇の784年に初めて儀式が行われました。
11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する御暦奏が行われていたため、大変盛大な行事となっていました。
ただし、破章法を採用している暦では19年7閏の原則が守られないこともあり、その場合には新しい章の最初に朔旦冬至が訪れるとは限りません。
逆に章の途中で偶然朔旦冬至が訪れることもあります(臨時朔旦冬至)。日本ではこのような状況を不祥とし、暦を人為的に操作して朔旦冬至を調整する「改暦」が行われました。
後には章の最初以外の朔旦冬至も祝われるようになりました。1786年に光格天皇の時に行われたのが最後の儀式で、1870年の朔旦冬至をもって明治政府は古い因習として以後こうした儀式を行わないこととしました。
最近の朔旦冬至は1984年、1995年、2014年であり、その次は38年後の2052年です。2014年の19年後である2033年が朔旦冬至にならないのは、冬至と朔の日が一致しない(5時間差で日を跨いでしまう)ためであり、旧暦2033年問題(陰暦月名が決められない)とは関係ありません。
日本の冬至は何をするの?
冬至に関する日本の伝統的な習慣には、健康や厄除けを願う風習が多くあります。特に「ゆず湯」と「かぼちゃを食べる」習慣が広く知られていますが、その他にも地域ごとに異なる習慣が存在します。以下に、冬至の代表的な風習を詳しく紹介します。
ゆず湯に入る
ゆず湯は、冬至の日に柚子を浮かべたお風呂に入るという習慣です。この風習には、風邪をひかないように体を温め、健康を祈願する意味があります。
理由:柚子にはビタミンCや香り成分が含まれており、リラックス効果や血行促進が期待されます。ゆず湯に入ると体が温まり、冷え性の予防や肌の保湿にも良いとされています。
歴史:柚子(ゆず)は「融通がきく」という語呂合わせから、厄除けや幸運を呼び込むと考えられており、江戸時代から冬至の風習として広まったと言われています。
かぼちゃを食べる
かぼちゃ(南瓜)を食べることも、冬至に行われる代表的な風習の一つです。
理由:かぼちゃはビタミンAやカロテンが豊富で、免疫力を高める効果があります。冬至にかぼちゃを食べることで、寒い冬を乗り切るための栄養補給とされています。
歴史:かぼちゃは長期間保存ができる野菜で、冬至の時期には新鮮な野菜が少ないため、冬至に食べる習慣が根付いたと考えられています。
小豆粥(あずきがゆ)を食べる
一部の地域では、冬至に小豆粥を食べる習慣もあります。
理由:小豆の赤い色は魔除けの力があると信じられており、小豆を使った粥を食べることで厄を払い、健康を祈る風習です。また、小豆は栄養豊富で、体を温める効果もあります。
地域性:特に、東北地方や北陸地方でこの風習が見られます。
冬至の七種(とんじのななくさ)
冬至の七種とは、冬至の日に7種類の食材を使った料理を食べる習慣です。
内容:かぼちゃをはじめとする大根、にんじん、ごぼう、れんこんなどの冬野菜を使った料理を食べることで、体を温め、健康を保つとされています。
意味:7という数字は縁起が良いとされ、7種類の食材を摂ることで、無病息災を願います。地域ごとに七種の食材が異なることがあります。
冬至の日の餅(地域特有の風習)
いくつかの地域では、冬至に餅を食べる習慣があります。特に中国地方や四国地方では、冬至に餅を食べることで豊作や健康を願う風習があります。
例:香川県では「冬至餅」と呼ばれる餅を食べ、岡山県では小豆と一緒に煮た「ぜんざい」が定番です。
冬至かぼちゃの甘煮(関西地方)
関西地方では、冬至の日にかぼちゃの甘煮を食べる風習があります。かぼちゃを甘く煮た料理は、栄養価が高く、保存も効くため、冬の食材として重宝されました。
こんにゃくを食べる(関東地方)
関東地方では、冬至にこんにゃくを食べる風習が伝わっています。これは、「体内の悪いものを取り除く」とされるこんにゃくの効能に由来します。こんにゃくは「腸の砂おろし」とも言われ、体内を清め、健康を守るために食べられてきました。
冬至の習慣に込められた願い
冬至は、一年で最も陽の気が弱まる時期とされ、そこから再び太陽が力を取り戻し始める転換点です。そのため、古来より冬至には「厄除け」や「健康祈願」の意味が込められた様々な風習が生まれました。
まとめ
冬至(とうじ)は、1年で最も昼が短く、夜が長い日です。これは、北半球では太陽が地平線の上にいる時間が最も短くなるためで、毎年12月21日か22日頃に訪れます。南半球では逆に、この時期が夏至(昼が最も長い日)にあたります。
冬至の特徴
冬至は、太陽が最も南寄りの軌道を通り、北半球では昼間の時間が最も短く、夜が最も長くなります。
この日を境に、太陽の高度が徐々に上がり始め、日照時間が増えていきます。
冬至の文化的意義
多くの文化や地域で冬至は、太陽の復活や新たな始まりを象徴する日とされています。
たとえば、古代中国では冬至を「一陽来復」と呼び、陰の気が極まって陽の気が戻り始めるとされ、新しいサイクルの始まりとされていました。日本でもこの考え方を取り入れ、冬至を重要な節目としています。
冬至の習慣
日本では、冬至に特定の風習があり、その代表的なものが「ゆず湯」と「かぼちゃを食べる」ことです。
ゆず湯:冬至の日に柚子を浮かべた湯に入ることで風邪を防ぎ、健康を願います。柚子の香りがリラックス効果をもたらすとも言われています。
かぼちゃを食べる:栄養価の高いかぼちゃを食べることで、冬の寒さに備えて体力をつけ、健康を保つという考えがあります。
冬至の天文学的背景
冬至は、太陽が黄道上の黄経270度の地点にある時点を指します。この日は太陽が南回帰線の上空を通過するため、北半球では太陽が最も低く見え、昼が短くなるのです。