「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」は、「きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず」と読みます。
追い詰められた人が助けを求めてきたなら、たとえそれまで対立していた相手でも、見捨てずに救うのが人情であるという意味です。
この言葉は、古代中国で逃亡者をかくまった人々の行動を背景に生まれました。
一般には『顔氏家訓』を出典としますが、それより前の『三国志』邴原伝の注にも「窮鳥入懐」という印象的な言葉が記録されています。
ここでは、意味や使い方に加え、劉政と邴原の故事、『顔氏家訓』に込められた教え、日本で現在の形に整った過程を紹介します。
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」の意味・読み方・使い方
この故事成語は、追い詰められた鳥が人の懐へ飛び込んでくれば、鳥を捕る猟師でさえ殺すことはできないというたとえです。
読み方と意味
読み方は「きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず」です。
「窮鳥」とは、逃げ道を失い、行き場のなくなった鳥を指します。
ここでいう「懐」は、着物の胸元の内側であると同時に、安全を求めて身を寄せる場所のたとえです。
全体では、困り果てた人が自分を頼ってきたなら、過去の関係や立場だけを理由に追い返さず、助けるのが人の道であるという意味になります。
弱い立場の人をいたわる肯定的な言葉であり、人情や寛容さを大切にする場面で使われます。
使う場面と注意点
敵対していた相手が窮地に陥って助けを求めてきた場面や、事情を抱えた人を保護しようとする場面に適しています。
単に相手が失敗しただけではなく、その人が逃げ場を失い、こちらを頼ってきたことが重要です。
また、この言葉は犯罪や不正への協力まで求めるものではありません。
後ほど紹介する『顔氏家訓』でも、命の危険にある人を救うことと、道理に反する企てへ加担することは明確に分けられています。
自然な例文
・長年の競争相手とはいえ、助けを求めてきた以上、窮鳥懐に入れば猟師も殺さずの気持ちで手を差し伸べたいです。
・逃げてきた若者をかくまった彼の行動は、まさに窮鳥懐に入れば猟師も殺さずでした。
・窮鳥懐に入れば猟師も殺さずというように、窮地にある相手へ追い打ちをかけるべきではありません。
「窮鳥入懐」を語った劉政と邴原の故事
日本の辞書では『顔氏家訓』が出典として挙げられますが、「窮鳥入懐」という表現を使った具体的な人物の逸話は、さらに前の時代を扱う史書にも残っています。
それが、後漢末の劉政と邴原をめぐる故事です。
公孫度に命を狙われた劉政
後漢末の中国では、黄巾の乱をきっかけに各地の支配が不安定になり、多くの人が戦乱を避けて故郷を離れました。
邴原は北海郡朱虚県の出身で、学問と節操によって知られた人物です。
戦乱を避けて遼東へ渡り、同郷の劉政とともに身を寄せていました。
当時の遼東を支配していた公孫度は、勇気と知略を備えた劉政を危険な存在とみなし、劉政だけでなく、かくまった者も同罪にすると触れを出して捜索しました。
追い詰められた劉政は邴原を頼ります。
「窮鳥入懐」の短いやり取り
陳寿の『三国志』魏書・邴原伝には、劉政が困窮して邴原のもとへ逃げ込んだことが記されています。
さらに、裴松之の注が東晋の孫盛による『魏氏春秋』を引用し、二人の会話を次のように伝えています。
政、原に投じて曰く、「窮鳥懐に入る」と。
原曰く、「安んぞこの懐の入るべきを知らんや」と。
現代語にすると、劉政は「追い詰められた鳥が、あなたの懐へ飛び込みます」と、自分を逃げ場のない鳥にたとえて保護を求めました。
邴原は「どうして、この懐なら入ってよいと分かったのか」と応じています。
後の行動を見ると、これは劉政を拒絶する言葉ではなく、危険を承知で受け入れる前の短いやり取りとして理解できます。
『魏氏春秋』は4世紀の史家・孫盛が著した史書で、現在は散逸しています。
この会話は、5世紀に裴松之が施した『三国志』の注に引用されたため、今日まで伝わりました。
ただし、後漢末の二人の会話を後世の史書が記録したものなので、一字一句が実際の発言どおりであったかまでは確認できません。
邴原は劉政だけでなく家族も救った
邴原は劉政を1か月余りかくまった後、帰郷する途中だった太史慈に託し、遼東の外へ逃がしました。
それだけでは終わりませんでした。
邴原は公孫度に対し、劉政がすでに去った以上、残された家族を拘束して恨みを深めさせる必要はないと説きました。
公孫度が家族を解放すると、邴原は旅費などを用意し、家族も故郷へ帰れるように取り計らいました。
この故事で大切なのは、邴原が同情を口にしただけではなく、自分も処罰される危険を負いながら劉政を保護し、その家族まで救ったことです。
「窮鳥入懐」は、頼る側の切迫した状況と、受け入れる側の覚悟をともに表す言葉として残ったのです。
『顔氏家訓』が示した人情と仁義
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」の直接の典拠として、日本の辞書が一般に挙げるのは『顔氏家訓』の「省事」篇です。
ここでは「窮鳥入懐」が、単なる逃亡のたとえではなく、追い詰められた人を救うべきだという倫理的な教えとして語られています。
顔之推が子孫へ残した『顔氏家訓』
『顔氏家訓』は、中国の南北朝時代末期に生きた学者・顔之推が、子孫へ向けて記した家訓書です。
顔之推は531年に生まれ、梁・北斉・北周・隋へと王朝が交代する動乱の時代を経験しました。
同書は、子どもの教育、学問、家族関係、処世、文章、信仰など、生活の幅広い問題を扱う全20篇の書物です。
問題の一節がある「省事」篇では、余計な争いへ関わらず、道義にかなう行動を選ぶことが説かれています。
原典には「猟師も殺さず」と書かれていない
『顔氏家訓』の原文は、次のとおりです。
然而窮鳥入懐、仁人所憫。況死士帰我、当棄之乎。
読み下すと、「然れども窮鳥懐に入るは、仁人の憫れむ所なり。況んや死士我に帰するを、当にこれを棄つべけんや」となります。
現代語では、「しかし、追い詰められた鳥が懐へ飛び込めば、思いやりのある人は哀れに思う。まして、命を懸けた者が自分を頼ってきたなら、どうして見捨てられるだろうか」という趣旨です。
この原文には「猟師も殺さず」に当たる部分はありません。
原典の「仁人の憫れむ所」という考えを、鳥を追う猟師でさえ殺さないという具体的な場面へ広げたものが、日本で広く使われる長い形です。
顔之推が挙げた4組の救援者と逃亡者
顔之推はこの一節に続けて、危険を承知で追われる人を救った先人の例を4組挙げています。
・伍員と漁師:伍員は、のちに伍子胥と呼ばれる春秋時代の人物です。
楚から追われて川へたどり着いた伍員を、漁師が舟で渡し、追っ手から逃れるのを助けました。
・季布と周氏・朱家:項羽の武将だった季布は、漢の高祖・劉邦から懸賞をかけられました。
周氏は季布を奴隷のような姿に変え、「広柳」と呼ばれる車へ隠して朱家に託し、朱家は助命のために働きかけました。
・張倹と孔融:後漢の張倹が宦官勢力から追われた際、当時16歳だった孔融は、兄の留守中に張倹を受け入れました。
発覚後は孔融、兄、母が互いに責任を引き受けようとしたと『後漢書』は伝えています。
・趙岐と孫嵩:宦官一族との対立から逃亡した趙岐を孫嵩が見抜き、自宅の二重壁の中へ隠して保護しました。
これらは時代も事情も異なりますが、権力から追われた者を見捨てず、救援者も危険を引き受けた点で共通しています。
顔之推は、こうした行いを前代から尊ばれてきたものとして、自分も守るべき行動規範に位置づけました。
原典は無条件の加担を勧めていない
『顔氏家訓』は、困っている人なら何をしていても無条件で手助けせよと説いたわけではありません。
同じ箇所で顔之推は、他人に代わって復讐するような行動や、道理のない依頼へ応じることを戒めています。
反乱や親への重大な背反によって罪を問われた者は、保護する対象とはしないとも述べました。
一方、親しい人が本当に危難へ追い込まれたなら、財産や自分の力を惜しまず助けるべきだとしています。
つまり原典の中心にあるのは、同情だけでも自己保身だけでもなく、仁義を基準として助けるべき相手と行動を判断する姿勢です。
日本で「猟師も殺さず」の形に整った経緯
中国で生まれた「窮鳥入懐」は、日本では漢籍の教養と軍記物語を通じて知られるようになりました。
その過程で、短い表現に「猟師も殺さず」という説明が加わり、現在のことわざへ近づいていきます。
『平家物語』に見える「窮鳥懐に入る」
『精選版 日本国語大辞典』は、「窮鳥懐に入る」の日本での早い使用例として、鎌倉時代に成立した『平家物語』巻四を挙げています。
そこでは、「窮鳥懐に入る。人倫これをあはれむ」という趣旨で用いられています。
この段階では、追い詰められた者を人として哀れむという『顔氏家訓』に近い形です。
『太平記』では狩人のたとえが加わった
同辞典が長い形の早い使用例として挙げるのが、南北朝時代を描いた『太平記』巻十八です。
作中では、比叡山延暦寺が後醍醐天皇を受け入れたことについて、「窮鳥懐に入る時は、狩人もこれを哀れみ殺さず」という趣旨の説明がなされています。
原典の「仁人なら哀れむ」という抽象的な表現が、「鳥を追う狩人でさえ、懐へ来た鳥は殺さない」という分かりやすいたとえになっています。
このため、「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」という現在の形を、そのまま『顔氏家訓』の原文だと考えるのは正確ではありません。
中国の「窮鳥入懐」と仁義の教えをもとに、日本で説明を加えながら整えられたことわざと理解すると、その成立過程が分かりやすくなります。
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」に関するFAQ
ここでは、原典や成立過程について迷いやすい点を補足します。
原典に現在の言葉がそのまま書かれていますか?
いいえ、『顔氏家訓』にあるのは「窮鳥入懐、仁人所憫」という一節で、「猟師も殺さず」という文言はありません。
現在の長い形は、日本で原典の意味を具体的なたとえに広げて成立した表現です。
実際に鳥が人の懐へ飛び込んだ出来事が由来ですか?
そのような実話が原典に記録されているわけではありません。
逃げ場を失った人が保護を求める様子を、追い詰められた鳥にたとえた表現です。
「窮鳥入懐」とは同じ意味ですか?
深く関係していますが、意味の中心が少し異なります。
「窮鳥入懐」は、窮地にある人が助けを求めて身を寄せることを表し、「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」は、そのような人を見捨てずに助けるべきだという受け入れる側の人情まで強調します。
最初にこの言葉を使ったのは誰ですか?
現存する記録では、『三国志』邴原伝の注が引用する『魏氏春秋』に、劉政が邴原へ「窮鳥入懐」と語った故事があります。
ただし、現在の日本語のことわざは『顔氏家訓』を主要な典拠として広まり、「猟師も殺さず」の部分は日本で加わったと考えられます。
猟師が本当に鳥を殺さないという決まりがあったのですか?
猟師の実際の規則を説明した言葉ではありません。
本来なら鳥を捕らえる猟師でさえ、懐へ逃げ込んで全面的に身を委ねた鳥には情が移るという、慈悲や寛容を強調するためのたとえです。
まとめ
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」は、追い詰められた人が救いを求めてきたなら、過去の関係や立場を越えて助けるのが人情であるという故事成語です。
「窮鳥入懐」という表現は、劉政が邴原へ保護を求めた故事として『三国志』邴原伝の注に残り、邴原は自らの危険を承知で劉政とその家族を救いました。
その後、『顔氏家訓』は「追い詰められた鳥を思いやりのある人は哀れむ」と説き、危難にある人を救う仁義の教えとして位置づけました。
原典には「猟師も殺さず」という部分はなく、日本では『平家物語』の「窮鳥懐に入る」を経て、『太平記』に狩人のたとえを加えた形が見られます。
ただし、これは不正へ無条件に加担する教えではなく、助けを求める人への思いやりと、道理に沿った判断を両立させる言葉として受け取ることが大切です。


