日本の七夕は、中国の七夕に由来する祭りです。
織姫と彦星(それぞれ星座の「ベガ」と「アルタイル」)の出会いを祝います。
伝説によれば、天の川が彼らを隔て、一年に一度、太陰太陽暦の7月の7日にだけ会うことができます。
お祝いは7月から8月にかけて、様々な日に行われます。
もともとは旧暦の7月7日の夜に行われていましたが、明治時代以降、新暦に移行したため、お盆との関連性が薄れました。
現在は、新暦または旧暦の7月7日やその前後に祭りが行われます。
七夕の由来を紹介
日本の「たなばた」は、奈良時代に中国から伝わった七夕の行事に由来します。
牽牛星と織女星が耕作と織物を司るとされ、それにちなんだ「たなつもの」「はたつもの」という言葉が江戸時代の文献で「たなばた」の由来とされています。
日本では、7月7日が節日とされ、奈良時代から相撲観戦、七夕の詩賦、乞巧奠などが行われてきました。
しかし、平城天皇が7月7日に亡くなったことから、826年に相撲観戦が別の日に移動し、行事は星合と乞巧奠に分かれて盛んになりました。
乞巧奠は、7月7日の夜に織女に手芸の上達を願う祭りで、古くは『荊楚歳時記』にも見られます。
これが日本に伝わり、宮中や貴族の家で行われました。
宮中では、清涼殿の東の庭に机を並べて果物などを供え、ヒサギの葉に金銀の針を7本刺して糸を通し、一晩中祈りました。
また、『平家物語』によれば、貴族の家では願い事をカジの葉に書きました。
この祭りでは、二星が合うことや技芸の上達が願われました。江戸時代には、一般庶民にも手習いの願掛けとして広まりました。
明治6年(1873年)、神武天皇即位日と天長節の祝日が定められると共に、七夕を含む「五節句」の式日が廃止されました。
明治6年五節句の廃止以前の歴史
昔、七夕は旧暦の7月7日に行われました。その日は、月の満ち具合がおよそ6で、船の形をした月が南西の夜空に浮かんでいました。
当時の七夕飾りは、現代のように軒下に飾るのではなく、色紙や短冊などを付けた葉竹を屋上に立てていたそうです。これについては、明治政府が発行した百科事典『古事類苑』で説明されています。
古事類苑とは?
古事類苑(こじるいえん)は、明治政府によって編纂された一種の百科事典です。
1896年から1914年まで刊行され、古代から1867年までのさまざまな文献からの引用を分野ごとに編纂し、日本史研究の基礎資料とされています。
これは日本最大かつ唯一の「官撰百科事典」です。
この事業は、文部大書記官の西村茂樹の提案により、1879年に文部省によって始められました。
編纂長は佐藤誠実であり、文部省の東京学士院、皇典講究所、神宮司庁に引き継がれました。1907年に編纂が完了し、全1000巻に及ぶ大作となりました。
内容は、天部、歳時部、地部、神祇部、帝王部、官位部、封禄部、政治部、法律部、泉貨部、称量部、外交部、兵事部、武技部、方技部、宗教部、文学部、礼式部、楽舞部、人部、姓名部、産業部、服飾部、飲食部、居処部、器用部、遊戯部、動物部、植物部、金石部の30部門に分かれています。
この分類は、宋の『太平御覧』や清の『淵鑑類函』、『和漢三才図会』を参考にして定められました。
各項目には簡単な説明が付けられ、六国史以降から慶応期までの文献から引用された参考箇所もあります。
古事類苑の編纂を引き受けたのは、1890年に皇典講究所であり、同時期に國學院(現在の國學院大學)が開設され、授業が始まりました。
1895年には神宮司庁に引き継がれましたが、皇典講究所のメンバーは引き続き編集委員を務めました。これは明治期の国学者による大きな事業でした。
明治6年五節句の廃止以降の七夕の歴史
多くの場所では、七夕の祭りは「夜明けの晩」(7月7日午前1時ごろ)に行われます。
祭りは、7月6日の夜から7月7日の早朝までの間に行われます。午前1時ごろには、主要な星が天頂付近に上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も美しく見える時間でもあります。
全国的には、短冊に願い事を書き、それを笹に飾る風習が一般的です。
この風習は、夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まりました。短冊などを笹に飾る風習は、日本以外では見られません。
「たなばたさま」の歌には、五色の短冊が登場しますが、これは五行説に基づいた緑・紅・黄・白・黒の五色を指します。
中国では五色の短冊ではなく、五色の糸を使います。短冊に願い事を書く際、その願い事が芸事に関係するものであれば、技芸の上達を祈るとされています。また、佛教の五色の施餓鬼幡からも短冊に影響を受けています。
サトイモの葉の露で墨をすると習字が上達するとされ、7枚のカジ(梶)の葉に歌を書く習慣もあります。
これらの笹は7月6日に飾られ、海岸地域では7日未明に海に流すのが一般的です。しかし、最近ではプラスチック製のものを使用し、海に流すことは少なくなっています。
地域によっては、七夕の日を休日とし、農作業で疲れた体を休める風習や、雨乞いや虫送りの行事が行われることもあります。
また、北海道では子供たちが「ローソクもらい」という行事を行ったり、仙台では七夕の日にそうめんを食べる習慣があります。
これらの風習の理由には、中国の故事に由来する説や、麺を糸に見立てて織姫のように機織・裁縫が上手くなることを願う説があります。
七夕行事はいつすれば良いの?
日本では、七夕は旧暦の7月7日(行事によっては7月6日の夜)に行われ、お盆(旧暦7月15日)の直前にあたる前盆行事として行われてきました。
しかし、明治6年(1873年)の改暦以降は、地域によって異なる日付で行われるようになりました。
一部の地域では、旧暦の7月7日に続けて行われる一方で、他の地域では新暦の7月7日に行われます。また、一部の地域では月の遅れて8月7日に行われることもあります。特に新暦での開催では、お盆との関連が薄れました。
なお、旧暦では7月の翌月に閏7月を設ける場合もありますが、閏月には年中行事が行われないため、閏7月7日は旧七夕とはされません。
グレゴリオ暦の7月7日は夏ですが、旧暦の7月7日は立秋以降になることがほとんどですので、古来の七夕は秋の季語とされています。
また、2024年の七夕は、8月10日に行われます。翌年の2025年の七夕は、8月29日になります。そして、その次の2026年の七夕は、8月19日に行われる予定です。
七夕の時期の天候は雨の日が多い?
多くの地域では、グレゴリオ暦の7月7日は梅雨の時期であり、雨の日が多いため、旧暦の行事を新暦の同じ日に行うことによる問題が生じます。
統計によれば、旧暦7月7日の晴れる確率は約53%(東京)であり、特別に高いわけではありません。
しかし、旧暦では毎年必ず上弦の月となるため、月が地平線に沈む時間が早く、月明かりの影響を受けにくいです。
一方、新暦の7月7日は、晴れる確率が約26%(東京)と低く、さらに月齢が一定しないため、晴れていても月明かりの影響で天の川が見えない年もあります。
したがって、天の川が見える確率は、旧暦の七夕の方がかなり高いと言えます。
七夕に降る雨を「催涙雨(さいるいう)」または「洒涙雨(さいるいう)」と言い、織姫と彦星が流す涙だと伝えられています。
現代の日本では、人々は一般的にこの日を祝うために、短冊に願い事を詩の形で書き、それを竹に掛けたり、他の装飾を付けたりします。
竹や飾りは、多くの場合、祭りの後、真夜中または翌日に川に流されたり、燃やされたりします。
これは、お盆に紙船や蝋燭を川に流す風習に似ています。日本の多くの地域には独自の七夕の風習があり、主に地元のお盆の伝統に関連しています。また、伝統的な七夕の歌も存在します。
七夕はどんな行事をやっているの?
江戸時代には既に七夕祭りが行われており、喜多川守貞や喜多村筠庭などの文献にその記録が残されています。
その後、現代においては七夕祭りは神事とのつながりが薄れ、観光客や地元商店街の集客を目的としたものとなりました。
多くの地域では、七夕飾りの設置が前日までに行われ、当日は人出も少なく、商店街の通行規制も緩やかです。
このため、商店街との親和性が高く、戦後の復興期以降、商業イベントとして日本各地で開催されてきました。
多くの場合、昼間のイベントと夕方から夜にかけての花火が組み合わせられ、伝統的な七夕の風習にこだわらずに行われることが一般的です。
また、青森の「ねぶた」や秋田の「竿燈」などの行事も七夕祭りが原型となっています。
各地で大規模な七夕祭りが開催され、通りには大きな色とりどりの吹流しが飾られます。
有名な七夕祭りには、仙台市で開催されるものや神奈川県平塚市、東京・阿佐谷などがあります。海外でも、ブラジルのサンパウロやカリフォルニア州のロサンゼルスなどで七夕祭りが開催されます。
七夕祭りでは、七夕飾りの大会やパレード、ミス七夕コンテストなどのイベントが行われます。
また、屋台では食べ物やゲームが提供され、祭りの雰囲気を楽しむことができます。東京ディズニーランドと東京ディズニーシーでは、ミニーマウスが織姫に、ミッキーマウスが彦星に扮したグリーティングパレードが行われることもあります。
七夕の行事での食べ物
七夕は、桃の節句や端午の節句と同じく、季節の節目に位置する五節句の一つです。
各節句には行事食と呼ばれる特別な料理があり、ひな祭りではあられ、こどもの日には柏餅やちまきなどが食べられます。
七夕の行事食や食べ物について、地域によって多少異なるものの、一般的には次のようなものがあります。
索餅(さくべい)
索餅(さくべい)は、小麦粉と米の粉を練って細長くねじったお菓子で、古代中国では7月7日に供えられていました。
この習慣が日本に伝わり、七夕に索餅を食べて無病息災を願うようになりました。
オクラ
オクラは夏野菜の一つで、七夕の日に良く食べられます。オクラの切り口が星型であることから、願いを天に届けるという意味合いも込められています。
そうめん
そうめんは、かつては索餅と同じく小麦粉で作られた索麺(さくめん)が食べられていましたが、時代とともにそうめんに変わりました。
また、そうめんは五色の短冊にちなんで「五色そうめん」として七夕に食べられることもあります。
ちらし寿司
ちらし寿司は七夕によく食べられますが、その由来や理由は明確ではありません。
ただし、お祝い事にお寿司を食べる習慣が古くからあるため、七夕でもお祝いの際に食べられるようになったと考えられます。
ほうとう
ほうとうは、長野県の松本市では月遅れの七夕に供えられる料理です。
七夕ほうとうは、幅広の麺にあんこやきなこをまぶした甘いもので、収穫を感謝する意味合いも含まれています。
七夕の行事ですること
日本では、七夕の時期になると、家や街をさまざまな飾りが彩ります。例えば、以下のようなものがあります。
短冊
5色の短冊に願い事を書いて飾ります。青(緑)は「成長」、赤は「感謝」、黄は「信頼」、白は「規則・義務」、黒(紫)は「知恵」という意味があります。
吹流し
くす玉や紙風船に5色のテープを貼り付けた飾りで、織姫にお供えした織り糸を表しています。裁縫の上達を願います。
千羽鶴
長寿を表す鶴を折り紙で作ります。家内安全や健康長寿を願います。
巾着
折り紙や実際の財布を巾着の形に折ってぶら下げます。商売繁盛や金運アップを願います。
まとめ
七夕は、日本の伝統的な行事の一つであり、毎年7月7日に行われます。
この日は、天の川に沿って織姫(彦星)と牛飼い(牽牛星)が会う日とされています。七夕の起源は中国にあり、牛飼いと織姫が出会うことが許された日とされる伝説に由来します。
七夕の主な特徴や習慣には以下のようなものがあります。
笹飾りや短冊: 家や街中に笹の葉を使った飾りや短冊を飾ります。短冊には願い事を書きます。
食べ物: 七夕には特定の食べ物が関連付けられています。例えば、索餅やオクラ、そうめん、ちらし寿司、ほうとうなどがあります。
伝統的な行事: 昔ながらの七夕では、天の川を見ながら願い事を唱えたり、川や海に流し飾りを流したりする行事があります。
現代の七夕まつり: 商店街や地域でイベントが開催され、七夕飾りや食べ物を楽しむことができます。夜には花火大会が行われることもあります。
祝い: 七夕は願い事を込めて祝う日であり、特に女性や子どもたちにとっては楽しい行事の一つです。
七夕は日本の文化や季節感を感じる行事のひとつであり、家族や友人と一緒に楽しむ機会として親しまれています。