侘び(わび)と寂び(さび)とは?

「わび」と「さび」は、日本特有の美的概念を表す言葉で、「わびさび」と総称されることがありますが、元来は異なる概念です。

わびは控えめで寂しげな趣を指し、一方でさびは古びつき枯れていて渋みのある静けさを表します。

「わび」(侘び)は動詞「わぶ(侘ぶ)」の連用形で、もともとは劣った状態や不足、思い通りにならないことから生じる寂しさを示す言葉でした。

しかし、中世以降には肯定的な意味合いが加わり、簡素で静かな趣を楽しむ境地を指すようになりました。俳諧や茶道で重要視され、「わび茶」は千利休によって完成されたとされています。

一方、「さび」(寂び)は動詞「さぶ(寂ぶ)」の連用形で、時間の経過によって劣化した様子を指しています。

古びつき味わい深いもの、枯れて渋い趣、静かな趣が意味されます。

特に、松尾芭蕉による俳諧の世界では、物静かで穏やかで奥ゆかしい雰囲気が、洗練された自然の中に身を置く重要な概念とされました。

侘び寂びの意味と使い方

「わび」および「さび」の意味を理解したところで、これらの表現が具体的にどのように使用されるのかを調査しました。

「わびさび」は、どんな状況で使用されるのでしょうか?

寺社仏閣の例を挙げると、古い建築物では木造部分に傷みや緑青(銅製のものにできる青緑色の錆び)が見られます。

こうした場合、「この寺院は華やかな装飾こそないが、侘び寂びの趣を感じる」と表現されることがあります。

石の蹲(つくばい)に生えた苔を見たとき、その緑の美しさだけでなく、そこに至るまでの時間の経過に思いが巡ります。

また、石が何十年も経っても変化しにくい性質から、安定感を感じることがあり、「この蹲からは侘び寂びを感じ、見ていると心が落ち着く」と表現されることがあります。

紅葉が散る時には、その儚さや残った枝の寂しさ、次第に訪れる冷たさを想像し、「この紅葉の美しさと散り際に侘び寂びを感じる」と表現されることがあります。

これらの例からわかるように、「わびさび」は特定の事象や空間に対して、感情が静かに揺れ動いたときなどに用いられるようです。

日本文化と「わびさび」の関係

日常での「わびさび」の使用法がイメージできたら、これが日本の文化とどのように結びついているのか、いくつかのキーワードを中心に調査しました。

「わびさび」と聞くと、茶道を連想する人も多いでしょう。これはどのように始まったのでしょうか。

室町時代には、貴族や武士の間で中国の豪華な茶器(唐物)を集める美術品鑑賞としての「茶の湯」が広がっていました。

一方で、室町時代中期以降には村田珠光や武野紹鴎らによって、簡素で静寂な雰囲気を感じる道具を使って行う新しいお茶の儀式が創られました。これが「侘茶(わびちゃ)」です。

珠光は「月も雲間のなきは嫌にて候」という文章を残し、満月よりも雲の間に隠れる月の方が美しいと述べました。このような美を不足ととらえる精神が「侘茶」の中で重要視されました。

この侘茶を更に深化させたのが、堺の有力な町衆であった紹鴎で、茶の湯を学んだ千利休がいます。

利休は人々の心の交流を中心に据えた緊張感のある茶の湯を追求しました。また、自身の審美眼によって様々な道具を創造するなど、これまでにない独創性を発揮し、「侘茶」を完成させました。

江戸時代には、「わび」は茶道における根本的な美意識として位置づけられ、茶人たちによってその意味や内容が規定されていきました。実際に「侘び茶」という言葉が登場するのもこの時代です。

「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」で知られる松尾芭蕉。当時、俳諧では華やかさが重視されていましたが、芭蕉の俳句はその中に「わびさび」を織り交ぜ、大きな影響を与えました。

芭蕉の弟子である向井去来は、「さびは句の色なり」と『去来抄』で述べ、さびは俳句を詠んだ作者の心情を表すものとして、芭蕉も積極的に取り入れていました。

「綺麗寂び」は、江戸時代初期に小堀遠州が提唱した、茶道における美の概念です。小堀遠州は武将でありながら茶人としても知られ、激動の時代を生き抜き、茶道において新しい形を創造し、王朝文化と結びつけました。

その美意識は「綺麗寂び」と呼ばれ、明るく、清新な息吹を感じさせるものでした。小堀遠州が主張した美の理念は、生涯にわたり開かれた茶会で数百回にも及び、2,000人以上の人々を招き入れたと言います。

わびさびの世界は、自然や建築から茶道、文学まで、広範な分野で共有される感覚です。それは、美を追求し、不足や寂しさを肯定的に受け入れ、そこに心の安定や深い感動を見いだす日本の美学の一環と言えるでしょう。

このようにして、「わびさび」は日本文化の中で根付き、様々な芸術や生活の場面で表現され、豊かな意味を持っています。

Wabi-Sabiの世界への広がり

「わびさび」という言葉は英語でもWabi-Sabiとして知られており、海外の訪問者が日本を表現する際や、日本文化を紹介する際に頻繁に使われます。最後に、わびさびや禅を世界に広めたいくつかの人物をご紹介します。

最初は日本の思想家、岡倉天心です。彼は『The Book of Tea(邦題: 茶の本)』において、日本の茶道や禅、道教、華道といった要素と共に、日本人の精神性を解説しました。

次に挙げられるのは、陶芸家であり日本の民藝運動にも関わったバーナード・リーチです。彼は著書『The Unknown Craftsman: A Japanese Insight into Beauty(邦題: 英文版 柳宗悦評論集)』で侘びと寂びについて掘り下げています。

続いては、作家・編集者のレナード・コーレン。彼は著書『Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers(邦題: わびさびを読み解く)』で、「わびさび」の感覚をモダニズムと呼ばれる近代的な思想と比較しながら言語化しました。

4人目は鈴木大拙。彼は円覚寺の釈宗演のもとで禅を学び、渡米後に20冊以上の英語の著書を通じて禅について広く知らしめました。また、ハーバード大学やプリンストン大学で仏教哲学や禅思想の講義も行い、「ZEN」ブームの立役者となりました。

最後に、米アップル社創業者の一人であるスティーブ・ジョブズ。彼は禅に傾倒し、曹洞宗の僧侶を師と仰ぎました。ジョブズが生み出した製品は洗練され、禅の影響が強く感じられます。その精神性はスティーブ・ジョブズ(ウォルター・アイザックソン著)などにも記され、その影響は世界中に広まりました。

このようにして、「わびさび」の概念が日本の美意識として世界に広がっていったのです。

侘びとは?

侘(わび、侘びとも)とは、「貧粗・不足の中に心の充足を見出そうとする意識」を指し、動詞「わぶ」の名詞形です。

動詞「わぶ」には、「気落ちする」「迷惑がる」「心細く思う」「おちぶれた生活を送る」「閑寂を楽しむ」「困って嘆願する」「あやまる」「・・・しあぐむ」[7]などの意味があります。

もともと、侘は避けるべき心身の状態を表す言葉でしたが、中世に近づくにつれて、不足や粗末さに美が見出され、不足の美を表現する新しい美意識へと変遷しました。

室町時代後期には茶の湯と結びついて侘の理解が急速に進み、江戸時代の松尾芭蕉が侘の美を推し進めたとされています。

ただし、歴史に記録されていなかった庶民、特に百姓の美意識にも侘が見られるとの見方もあります。

侘に関する記述は古く、『万葉集』の時代から存在しているとされます。『万葉集』では、恋愛におけるわびしさを表現するために頻繁に使用されています。

侘を美意識を表す概念として名詞形で用いる例は、江戸時代の茶書『南方録』に初めて現れたとされています。

それ以前では「麁相」(そそう)という表現が美意識の侘に近く、茶人の山上宗二(1544-1590)は「上をそそうに、下を律儀に(表面は粗相であっても内面は丁寧に)」(『山上宗二記』)と述べていました。

ただし、千利休(1522-1591)などは「麁相」を嫌っていたため、必ずしも同義ではありません。

しかし、この時代の茶の湯では、わびしさが単に粗末であるだけでなく、美的に優れていることにも注目されるようになっていきました。

侘の概念は茶の湯の中で徐々に理論化されていきましたが、「わび茶」という言葉が使われるようになるのは江戸時代でした。

江戸時代には多くの茶書が著され、それらによって侘が茶道の根本美意識として位置付けられました。

武野紹鷗は侘を「正直に慎み深くおごらぬ様」と規定していました。一時期は千利休の秘伝書と考えられた『南方録』では、侘が「清浄無垢の仏世界」と示されるまでに進化しました。

岡倉覚三(天心)(1863-1913)の著書『The Book of Tea(茶の本)』では「茶道の根本は不完全なものを敬う心にあり」とされ、侘はこの表現を通じて世界に広まり、その結果、日本を代表する美意識として確立されていきました。

大正・昭和時代には、茶道具が美術作品として評価され、それに伴って、侘という表現がその造形美を表す言葉として広まりました。柳宗悦(1889-1961)や久松真一(1889-1980)などは高麗茶碗などの美を讃える際に侘という言葉を頻繁に使用しました。

寂びとは?

寂(さび、寂び、または然びとも)とは、「穏やかな静寂の中で感じられる、奥深さや豊かさが自然に現れる美」を指し、動詞「さぶ」の名詞形として使われます。

本来は時間の経過によって劣化した様子を示しています。「寂」の漢字が使われ、「寂れる」という表現から、人がいなくなり静かな状態を指すようにもなりました。

一説には、「寂」の本来の意味である「内部的本質」が「外部へ滲み出てくる」ことを「然」の字で表すべきだとの主張もあります。

物の本質が時間とともに現れることを「しか(然)び」とし、「さ(然)び」となる[18]。金属の表面に出る「さび」には、「錆」の漢字が使われています。英語では同様の美しさを「patina(緑青)」と表現し、緑青が醸し出す雰囲気もpatinaと呼ばれます。

「さび」は、老化したものと豊かで美しいものという対照的な要素が同じ世界で共存し、相互に作用してその世界を活気づけるものです。このような活気づきがあり、不断の心の動きから生じる、二重構造の美とされます。

元々は良い概念ではなかったが、「寂しい」という感情の中に美を見出す意味での「寂」は、古くから『万葉集』にも歌われています。

平安時代後期の歌人藤原俊成(しゅんぜい・としなり1114-1204)が「歌合(うたあわせ)」の席で歌の姿を「さび」と見なし、それを評価したことから、寂しさが歌の重要な要素であり、「その寂しさを評価」されました。

俊成の子である定家(さだいえ・ていか1162-1241)は、「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」と詠み、夕暮れの静けさや寂しさを歌いました。

この歌にも静けさや寂しさの中に美を見出すことが示されています。また、この歌は、茶の湯の武野紹鴎によって「侘び茶の心」であるとも評されています。

兼好法師(1283-1352頃)は『徒然草』(1330~1349ごろ成立)を著し、「羅(うすもの)は上下(かみしも)はづれ、螺鈿(らでん)の軸(じく)は貝落ちて後こそいみじけれ」と記述し、古くなった冊子を味わい深いと見る言及があります。

同書では、「花はさかりに、月くまなきをのみ見るものかは」(第百三十七段)として、花や散りしおれた花、雲間の月にも美が見出されることを示しています。『徒然草』もまた、「無常観によって対象を見ていた」と言われます。

兼好は出家僧であり、「己をつづまやかにし、奢りを退け、財(たから)を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき」(『徒然草』第十八段)と述べ、禅の生き方を理想としていることが読み取れます。

これは侘の美意識とも重なります。中世には『平家物語』や『方丈記』が成立し、無常観が意識されていた時代でもあります。

兼好は「これまでにない高度で深遠な美的態度を表明した」と言え、この頃には寂しいものや不完全なものに価値を見出し、古びた様子に美を見出す意識が明瞭に表現されていたことが確認されます。

室町時代には寂しさが特に俳諧の世界で重要視され、能楽などにも取り入れられて理論化されていきました。江戸時代前期の松尾芭蕉(1644-1694)は寂を一層深化させ、俳諧に歌い込みました。

芸術性の高い歌を詠み、その独自な趣は「蕉風」と呼ばれました。芭蕉以降の俳句では寂が中心的な美意識となりましたが、芭蕉自身が寂について直接言及したり記述したりした記録は非常に少ないとされます。

芭蕉は「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一(いつ)なり」と述べ、これを「風雅」であり、風雅が広義には芸術、狭義には俳諧を指すと説明しました。

そして、「風雅論に根ざして生まれたもの」のひとつとして寂があるとしました。

ただし、単に寂しさや悲しさを歌っただけでは歌の評価は低く、「さびしさを詠み込むことであったのであり、鑑賞する側から言えば、叙述された景の中にさびしさを読み取ること」が必要だとも述べました。

これが歌、絵、茶の湯などの芸術を高めるとともに、その自然なありのままの美しさが重要であるとし、わざとらしさやことさらな演出は作り物になると指摘しました。

また、常に寂の境地にあることができるものの一つが旅であるとしました。

芭蕉は草庵に住み、漂泊の旅の中で歌を詠み続けました。「さびと孤独とのかかわりは、旅を通してあるいは草庵を通して、…すこぶる緊密である。」と述べ、芭蕉が孤独の極に立たされ、内部の寂しさを転換し、否応なく侘しさや寂しさの中で生活していたことを強調しました。

最晩年の芭蕉の歌、「この道や行く人なしに秋の暮れ」という歌についても、「この道」は単に俳諧の道以上のものであり、「寂びしい自分の姿を超越した絶対的な静寂がそこを支配している」と述べ、これが寂び観の本質であり、仏教の根本とも重なるとしました。

そして、わびさびは利休以後の茶道の真髄として語られますが、意外なことに利休時代の茶の文献には見当たらないと指摘しました。江戸時代以降、俳諧が盛んになり寂びの概念が拡がる中で、わびさびが茶道でも用いられるようになったと考察しています。

最後に、庶民の生活の中にも侘び寂びが見出され、侘び寂びは日本の美意識や哲学の一環であると総括しました。

侘び寂びの由来と歴史

「侘び寂び」の美学の由来や歴史、起源について紹介します。

多くの専門家によると、侘び寂びは紀元前14000年から300年までの長い先史時代、具体的には縄文時代にさかのぼります。

当時、日本は狩猟採集社会であり、農業は存在していませんでした。

この狩猟採集社会は縄文式土器を作り、特異な点としています。

土器は重く、製作に時間がかかるため、通常、農業社会に結びつけられますが、縄文社会は狩猟採集の生活様式を維持しながらも定住していました。

これは、日本が自然の恩恵を受け、食料を得ることで定住が可能だったからと考えられます。

日本の自然と生活様式は、精神性と宗教観を他の地域とは異なる形で発展させ、日本の思想や哲学の基盤となっています。

日本の神道は政治的および社会的な目的にも使用されてきましたが、本質的には自然を基盤とした信念体系であり、神は自然の神秘性や霊力など、全ての価値を表すものであり、ヒンドゥー教のような多神教的な精神を持っています。

自然を崇拝することで季節の変化に敏感になり、生命の無常さを感じることができました。自然観は日本人の価値観を理解する上で重要であり、これは多くの芸術家や作家が作品に反映させ、世界に発信しています。

552年に朝鮮半島を経由して日本に仏教が伝来し、仏教芸術や大陸文化が広まり始めました。

日本の仏教の歴史は複雑ですが、「空(くう)」とスートラの概念が最も重要でした。

例えば、「般若心経」は、全てが「空」であり、絶えず変化していると述べています。

これは、日本人の既存の自然観を更に強化しました。仏教の広がりとともに、日本社会はより洗練され、外部との接触が増えました。

752年には東大寺に大仏殿が建立され、1998年まで世界最大の木造建築物でした。大仏殿には大仏が鎮座し、大仏開眼式では世界中の識者がシルクロードを通じて奈良に招かれました。

これを契機に、日本は世界において文化大国としての存在感を示しました。

西洋では人間の能力を示すために自然を制御することが一般的ですが、日本では木材や和紙などの自然素材を使用し、自然と調和することが好まれました。

奈良の大仏と鎌倉の大仏は特殊であり、日本では石の芸術作品が少なく、木材と紙で建築が行われました。

朝鮮半島や中国大陸でも同様の文化があるかもしれませんが、日本人は石の建築を知っていたにもかかわらず、木を使用することを好みました。

侘び寂びを現代に置き換えた具体例文

侘び寂びを現代の生活状況に置き換えた具体例をいくつか紹介します。

生活の簡素さと美意識

侘び寂びは、物事をシンプルでありながら美しく保つ生活様式です。ミニマリストの考え方やナチュラルなデザインが、現代において侘び寂びの理念にマッチしています。

自然素材を活かした住まい

侘び寂びの精神を取り入れた住まいでは、木や竹などの自然素材が多用され、シンプルでありながら温かみが感じられます。自然の美しさが日常の中に溶け込んでいます。

季節感を味わう食卓

侘び寂びの食事は、地元の旬の食材を活かし、季節感を大切にします。シンプルで素朴な料理が、食卓に静けさと美しさをもたらします。

手仕事や手作りの楽しみ

侘び寂びの生活では、手仕事や手作りが重要視されます。自分で物を作ることで、その物に愛着が湧き、シンプルながらも豊かな時間を過ごします。

デジタルデトックス

侘び寂びの考え方は、デジタルデバイスに頼りすぎない生活も提唱します。自然との調和を求め、デジタルデトックスを通じて内面の静けさを取り戻すことが重要視されます。

静謐な空間での瞑想

侘び寂びの生活では、静謐な空間を大切にし、その中で瞑想や心の整理を行います。日常の喧騒から離れ、内なる平穏を感じることが目指されます。

これらの例文は、現代における侘び寂びの考え方を取り入れた生活スタイルや価値観を表しています。

侘び寂びの具体例を紹介

侘び寂びは、シンプルで控えめな美しさを追求し、物事のありのままの姿や自然の中に美意識を見出す美学です。以下に、侘び寂びの具体例をいくつか挙げてみます。

和食の懐石料理

懐石料理は、旬の食材を使用し、色や形、香りを大切にした日本の伝統的な料理スタイルです。シンプルでありながら繊細で美しい盛り付けが特徴です。

茶道

茶道は、茶器や茶室、点前(お茶を点てる手順)など、細部にまでこだわりがあります。自然素材を使用し、控えめな美しさを追求することが、侘び寂びの一環です。

和の庭園

侘び寂びの美学がよく表れるのが、和風庭園です。庭石や枯れ木、自然の風景を取り入れ、無駄をそぎ落とした風景が心を静めます。

手仕事の工芸品

手仕事や伝統工芸品には、職人の手仕事や素材へのこだわりが感じられます。手に触れることでその物の温もりや歴史を感じられるのが侘び寂びの美です。

季節感を取り入れた暮らし

季節ごとの風物詩や行事を大切にする生活が侘び寂びの一環です。例えば、季節ごとの花や節句、行事に合わせた飾り付けや料理などが含まれます。

シンプルな和室のインテリア

家屋の内装においても、シンプルで自然な素材を使用した和室が侘び寂びの雰囲気を醸し出します。控えめな調度品や和風の照明が組み合わさります。

これらはあくまで例であり、侘び寂びの美学は多様でありながらも、簡素で自然体な美を追求する考え方が根底にあります。

まとめ

侘び寂びは、日本独特の美意識であり、シンプルでありながら深い味わいや情緒を追求する美学です。以下に、侘び寂びについてのまとめをします。

美の探求と簡素化

侘び寂びは、過剰な飾りや贅沢を排除し、物事の本質的な美を見つけ出すことを重視します。簡素でありながらも深い趣を持つ美を求めます。

自然との調和

自然の美や四季折々の変化を尊重し、それを生活や芸術に取り入れます。季節感や自然の中での静けさが侘び寂びの美を形成します。

繊細で控えめな表現

侘び寂びの表現は繊細であり、控えめな色合いや形状が特徴です。抽象的で感傷的な表現が、見る者の心に余韻を残します。

茶道、華道、書道などの芸術との結びつき

伝統的な日本の芸術や儀式に侘び寂びの美が表れます。茶道や華道、書道などの芸術形式では、物のありのままの美を追求します。

物の寿命や傷みを受け入れる概念

侘び寂びは、物事が経年変化し、寿命や傷みを受け入れることを美しいと考えます。これが、古びたものや風化したものに対する価値観となります。

精神的な豊かさへの追求

侘び寂びは物質的な富よりも、精神的な豊かさや感受性の豊かさを追求します。物事に対する感謝の念や共感が重要視されます。

日本文化の根幹に影響を与える

侘び寂びの美学は、神道や仏教とも深い関わりを持ち、日本文化の根幹に影響を与えています。自然崇拝や無常観が侘び寂びの美の基盤となっています。

現代の生活にも現れる

現代の日本社会でも、建築、デザイン、食文化など様々な分野で侘び寂びの美学が見られます。シンプルで自然体な生活様式が重要視されています。