辞典と事典、字典の違いとは?

事典や字典を総称して「辞典」や「辞書」と呼ぶことがあるが、「辞」「事」「字」の文字それぞれに異なる意味があり、使い方にも独自の区別が存在します。

辞典において、「辞」の字は「言葉」という意味を含みます。言葉を収集し、その意味や発音、文法、例文などを解説したものが辞典であり、「ことばてん」とも呼ばれます。国語辞典、英和辞典、古語辞典などがこれに該当します。

一方で、事典は事物や事柄の知識を収集し、その内容を詳細に解説したもので、「ことてん」とも呼ばれます。百科事典、歴史事典、科学事典などが事典に分類されます。

字典は漢字などの文字に焦点を当て、その読みや意味、用法などを解説したものです。「もじてん」とも呼ばれ、書体字典、かな字典などが字典の一例です。

「IT用語辞典」と「IT用語事典」、「経済用語辞典」と「経済用語事典」など、専門用語を扱う場合、「じてん」には曖昧な区別が見られることもありますが、言葉の定義を中心に解説する場合は「辞典」、事柄の内容を主に解説する場合は「事典」が好まれます。

国語辞典とは?

国語事典(こくごじてん)は、特定の国の言語(国語)に焦点を当てた一言語辞典です。この種の辞典は、漢字文化圏に位置する国々、具体的には日本、中華民国(中華人民共和国成立前の中国およびそれ以降の台湾)、大韓民国で見られます。

通常、日本では日本語の言葉を対象としており、単語や連語、句などを規則的に(主に五十音順に従って)配列し、それに関する情報を解説した書物として知られています。

見出し語には、仮名遣いやアクセント、漢字表記、品詞、使用分野、意味、用法、さらには類義語や対義語、用例、文献上の初出例などが示されています。この種の辞書は、「国語辞書」「日本語辞典」「日本語辞書」とも呼ばれます。

現在、最大規模の辞典である『日本国語大辞典』(小学館)をはじめ、中型辞典(10万〜20万語規模)や小型辞典(6万〜10万語規模)などが競って編纂されています。

また、電子辞書やウェブ辞書、モバイルアプリケーションによる辞書も広く利用されています。これらのデジタル版は、通常書籍版に基づいていますが、全体を一目で見渡せる一覧性は乏しくとも、コンピュータによる検索の多様性や携帯性などの利点があります。

国語辞典の構成

国語辞典に限らず、辞書は使用者の背景や目的に応じて異なる性格を持っています。

例えば、使用者の職業や年齢、言語が母語かどうかなどにより、辞書の要請は様々であり、図書館での調査や学校・家庭での学習など、使用される場面も多岐にわたります。

以下では、一般的な国語辞典の構成について述べます。

見出し

一般的に国語辞典の見出しは「こくご​​」「ディクショナリー​​」のように「仮名見出し​​」の形で書かれます。それぞれの詳細は以下の通りです。

仮名見出し

活字にはアンチック体やゴシック体といった太めのものが用いられます。
仮名遣いは「現代仮名遣い」が採用されます。表音式の仮名見出しは、歴史的仮名遣いの難しさに対処する方式であり、統一されていないこともあります。

和語や漢語には平仮名を用い、活用のある語は原則として終止形を見出しとします。ハイフンや中黒などの約物で語構成や語幹・活用語尾の区切りを示すことが一般的です。

表記欄

すみ付き括弧(​​)または角括弧([ ])でくくることが多いです。

表記欄には漢字が常用漢字表にあるかどうかや漢字の書体、外来語の原語や原綴などが示されます。

歴史的仮名遣いが利用者の目的に応じて記載されることがあります。語義がほぼ同じである場合は、見出しの表記が異なる語も一つの項にまとめられ、異なる場合は別項になります。

これらの構成要素により、国語辞典は多様な利用者の要望に応えるようになっています。

排列

多くの現代の国語辞典は、項目を五十音順に並べています。

以前の時代の辞書はいろは順でしたが、現代にもいろは順のものやローマ字順のものも存在します。各辞典は微妙に異なるが、基本的なルールはだいたい共通しています。

他の事典では長音記号を無視して順序を付けることが一般的ですが、国語辞典では長音記号の発音に関連する母音が存在する場合が多いなど、いくつかの違いがあります。

清音、濁音、半濁音については、それぞれ清音、濁音、半濁音の順に並べられます(例・はり​​、ばり​​、パリ​​)。

直音、促音、拗音については国語辞典によって異なります。
直音、促音・拗音の順を採用するもの(例・めつき​​、めっき​​の順)。
促音・拗音、直音の順を採用するもの(例・めっき​​、めつき​​の順)。

長音についても国語辞典によって異なります。

直前のカタカナの母音に対応する音が続くとみなして扱うもの(例・アート​​を「アアト」の位置に配置)。
長音符を見出し語の順序に影響を与えないものとして扱うもの(例・アート​​を「アト」の位置に配置)。

複合語についても国語辞典によって異なります。

親項目に続けて配置するもの(例・「こくごきょういく​​」や「こくごしんぎかい​​」を「こくご​​」の下に配置)。
完全に独立した項目として配置するもの(例・「こくごきょういく​​」や「こくごしんぎかい​​」を「こくご​​」とは別の項目として配置)。

同音の場合の順序についても国語辞典によって異なります。

国語辞典の歴史

国語辞典の歴史について紹介します。

近現代以前

『日本書紀』によると、日本人が作成した最初の辞書は682年(天武天皇11年)に完成したとされる『新字』です。

内容は伝わっていませんが、木簡には字書らしき記載があることから、少なくとも天武朝時代に辞書の編纂が行われた可能性があります。

日本で現存する最古の辞書は、空海による編纂の『篆隷万象名義』(承和2年・835年以前完成)です。

これは漢字に簡潔な漢文注をつけたもので、唯一の古写本が高山寺に伝わっています。和語(和訓)が載っているものとしては、『新撰字鏡』(寛平4年〜昌泰3年・892年〜900年)、『和名類聚抄』(承平4年・934年)、『類聚名義抄』(11世紀末〜12世紀頃)、『色葉字類抄』[注 5]などが編纂されました。

ただし、これらは厳密には漢籍の漢和辞典または漢字・漢語を知るための和漢辞典であり、現代の国語辞典の概念からは遠いものと考えるべきです。

15世紀になると、日常で使用する単語をいろは順に並べた書物「節用集」が広まりました。

漢字熟語を多数掲載し、それに読み仮名をつけただけのもので、意味などの説明はありませんでしたが、日常の文章を書くためには十分でした。

写本は多く現存し、文明本(文明6年・1474年頃成立)、黒本本、饅頭屋本、前田本、易林本などが知られています。

節用集は江戸時代にますます広く利用され、明治以降も継続して刊行されましたが、次第にその役割を近代国語辞典に譲るようになりました。

近世には、1688年に貝原好古が中国の『爾雅』に倣った『和爾雅』を出版しました。

18世紀には石川雅望『雅言集覧』、太田全斎『俚言集覧』、谷川士清『和訓栞』などの辞書が登場しました。

『雅言集覧』は和歌や擬古文の作成において規範となる「雅語」を集めたもので、いわば古語辞典ですが、古語研究に不可欠な出典として役立っています。

『俚言集覧』は当時の俗語に焦点を当てたもので、現代の国語辞典の概念に近く、語をアカサタナ順に並べ、時折出典や説明をつけています。『和訓栞』は、見出し語の下に語釈や用例をかなり詳しく示しています。

『言海』から第二次世界大戦まで

「近代国語辞典の始まり」は一般に『言海』とされています。ただし、その前にいくつかの重要な出来事がありました。

文部省編輯寮では、『語彙』という辞書の編集が進められました。しかし、1871年に「あ」の部が完成した後、1884年に「え」の部まで進んだところで中断しました。『語彙』の失敗を受けて、文部省は大槻文彦による編集を命じました。

大槻は『ウェブスター辞典』の簡易版を参考にしながら、辞書編纂の理念として「発音」「語別」「語源」「語釈」「出典」の5つを絶対条件としました。この辞典には約3万9000語が収められています。

『言海』は完成後、資金不足のためしばらく文部省内に保管されましたが、1889年から1891年にかけて私費で刊行されました。最中、大槻は娘と妻を相次いで病気で亡くしてしまいました。

最初は全4冊でしたが、後に吉川弘文館などから1冊の本として刊行され、その後も印刷が続き、1949年には第1000刷を迎えました。

百科事典とは?

百科事典(英: encyclopedia)は、あらゆる分野にわたる知識をまとめ、それを部門ごとに整理し、アルファベット順、五十音順、またはいろは順に配置し、詳細な解説を提供する書籍のことである。時折、「総合百科」とも表記される。

広辞苑第七版によれば、百科事典は「学術・技芸・社会・家庭など、あらゆる分野の知識をまとめ、部門別または五十音順などに整理し、解説を加えた書物」を指し、大辞泉では「人類の知識が及ぶあらゆる領域にわたる事柄について、辞書の形式に基づいて項目を配置し、詳細な解説を加えた書物とされています。

なぜ百科事典と呼ばれるのか?

百科事典の「百科」は、おおむね「さまざまな分野」を指す。初めは百科辞典とも表記されていましたが、1931年に平凡社が『大百科事典』を刊行し、「百科事典」の表記が一般的になりました。

また、百科全書と呼ばれることもありますが、この呼称はやや古風なものです。

特に、フランスの百科全書派によるものを指して百科全書と呼ぶことがあります。中国語では「類書」とも呼ばれますが、百科全書が正式な表記です。

英語で百科事典を指す「encyclopedia」は、ギリシャ語のコイネー(共通語)から派生した言葉で、「輪になって」を意味するἐγκύκλιος(enkyklios:en + kyklios、「in circle」の意)と、「教育」や「子供の育成」を意味するπαιδεία(paideia パイデイア)を組み合わせています。

これは、ギリシャの人々が街で話し手の周りに集まり、聴衆となって伝え聞いた教育知識などから生まれた言葉で、「一般的な知識」を指しています。

百科事典の体裁は、大型のものでは数十冊に及ぶこともありますが、一巻本のものも存在します。

非常に大きなものでは索引が独立した一冊になることもあります。分冊百科もあり、映画、医薬、英語、日本史、世界遺産など、様々なテーマで刊行され、完結時にはテーマごとの百科事典が形成されます。

媒体としては、2000年頃までは主に紙の書物が使われましたが、以後は電子辞書、CD-ROM/DVD-ROM、メモリーカード、USBメモリ、ウェブなど、さまざまな形態が登場しています。

伝統的な百科事典もオンラインで提供されることが一般的になり、『ブリタニカ百科事典』などもWeb上でサービスが展開されています。

また、特定の専門分野に焦点を当てた「専門百科事典」も存在します。たとえば、「薬学百科事典」や「哲学百科事典」などがこれに該当します。

百科事典の構成・配列方法には、分野ごとに分類して編成する方法と、各項目の名称で配列する方法(西欧ではアルファベット順、日本語の場合は五十音順など)があります。

各項目には相互参照が可能なように印が振られ、オンライン百科事典でも同様です。中国語では機械的な配列が難しいため、多くの辞書・百科事典が分類配列となっています。

百科事典の項目の立てかたには、大項目主義と小項目主義の二方式があります。

大項目主義は全体を体系的に捉えることができますが、特定の作品や作家について調べるには向いていません。小項目主義は個々の項目について詳細に調べやすい一方で、全体としてのまとまりに欠けます。これらの方式を組み合わせた百科事典も存在します。

百科事典の執筆者

古代の百科事典はほとんどが個人の手によるものでしたが、18世紀後半になると、知識の急激な増加により、この方式は非常に困難となりました。

『百科全書』の登場以降、複数の執筆者が専門分野で執筆し、それを編集者が編纂する方法が主流となりました。

初めは学界に身を置いていないアマチュアが執筆していた時期もありましたが、学問の高度化・専門化に伴い、各分野の学者や専門家が寄稿することが一般的となりました。

執筆者の数は増加の一途をたどり、1911年の「ブリタニカ百科事典」第11版では執筆者が1507人にまで増加しました。この傾向はその後も続き、例えば2007年の平凡社の「改訂新版 世界大百科事典」では、約7000人の執筆者が携わっています。

さらに、オンラインのオープンコンテンツの百科事典では、執筆者の多くが再び専門家でないことが増え、執筆者数も急激に増加しています。

例えば、2022年5月1日時点でのウィキペディアの英語版において、登録者数は約4348万人、一か月以内に編集を行ったユーザーだけでも126,197人に達しています。同時点の日本語版でも、登録者数が約192万人で、一か月以内に編集を行ったユーザーが15,296人と報告されています。

百科事典の歴史

一般的に、「世界最初の百科事典」とされるのは、フランスのダランベール、ディドロ、ヴォルテール、ルソーらが立案した『百科全書』(L’Encyclopédie)です。

しかし、厳密に言えば、それ以前にも百科全書に似た性格の書物が複数存在しており、それらも含めて紹介します。

ヨーロッパでは、既に紀元前2世紀頃から古い書物を集め、その内容を整理する試みがなされていました。その中でも代表的なものにはプリニウスの博物誌があります。

一方で、今日の辞書形式に近いものは、10世紀末の東ローマ帝国中期の「マケドニア朝ルネサンス」の時代に誕生しました。

皇帝コンスタンティノス7世“ポルフュロゲネトス”は、ギリシャやラテンの古典から歴史や思想に関する様々なトピックを集め、統治の参考書として編纂しました。

この流れで、ヨハネス1世ツィミスケスの治下には、ギリシャ語の辞書である『スーダ辞典』(スダ)が完成しました。これは、現在に伝わる最も古いアルファベット順の事典であり、百科事典と語義辞書の双方の特性を持っています。

アジアでは、中国で古くから類書が存在していましたが、これはまだ用語集的な性格が強く、本格的なものとしては明の時代になってから、14部構成・全106巻に及ぶ『三才図会』が完成しました。

これに倣い、日本でも江戸時代の1712年には、寺島良安によって『和漢三才図会』がまとめられました。

これらも広義の百科事典と見なすことができますが、執筆された時代の世界観が反映されており、現代人から見ると空想的な要素も含まれています。

近代的百科事典の成立

百科事典の成立は、ルネサンス以後、各国で知識や語彙をまとめた書物が徐々に登場するようになりました。

17世紀初頭には、それまで分野別になっていた各項目がアルファベット順に整理されるようになりました。

この変化により、百科事典は編集者の価値観に依存せず、機械的で一律な構成を持つようになりました。

1695年から1697年にはピエール・ベールによって「歴史批評辞典」が書かれ、イギリスのイーフレイム・チェンバーズも1728年に『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』を出版しました。

サイクロペディアは各項目間の相互参照を導入し、後の百科事典に大きな影響を与えました。この時期には、科学や技術系の記述が増加し、百科事典が発展していきました。

しかし、一般的には、フランス革命前夜の1751年から開始された『百科全書』が世界初の百科事典とされています。これはフランス啓蒙思想運動の一環として企画され、ダランベール、ディドロ、ヴォルテール、ルソーらが名高い学者として寄稿し、知識を一般に普及させようとする試みでした。

百科事典の発展

百科全書の発行後、各国で百科事典が次々と刊行されるようになりました。1768年にはスコットランドのエディンバラで「ブリタニカ百科事典」の刊行が開始され、1796年にはドイツのライプツィヒで「ブロックハウス百科事典」が登場しました。

また、1829年にはアメリカ大百科事典がフィラデルフィアで刊行を始めるなど、19世紀中にはアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ドイツなどで百科事典の刊行が盛んに行われました。

これらの編纂作業は、しばしば個性的な編纂者によって推進されました。例えば、フランスではピエール・ラルースが1863年から1876年にかけて「19世紀大百科事典」を刊行し、これはほぼ彼の一生をかけたものであり、ラルース自身は刊行が完了する前の1875年に亡くなりました。

この19世紀百科事典は、ラルースの名前を冠したものとして知られ、その後もラルース百科事典として長い間存在しました。

20世紀に入ると、これまで百科事典が刊行されていなかったスペインや日本、イタリアなどの新興国や中小国でも百科事典の刊行が始まりました。

各国が百科事典を競って刊行する背後には、その国威を高めるために知の集大成である百科事典を刊行することが含まれていました。

近代の日本では、明治時代の文明開化期に西周によって初の日本の百科事典である『百学連環』が制作されました。

他にも、小中村清矩らの尽力で成立した『古事類苑』があります。1879年には文部省により編纂が始まり、後に神宮司庁が引き継いで1914年に完成したこの事典は、各時代の事物についての古文献を収集し、その資料的価値が高いとされました。

しかし、西洋のような近代的な百科事典としては、明治末に三省堂から刊行が始まった『日本百科大辞典』(全10巻、齋藤精輔の編纂で1907年刊行開始、1919年完結)が最も早いものでした。

その後も昭和初期には平凡社から『大百科事典』(1955年に『世界大百科事典』へ改題)(全28巻、1931年刊行開始、1934年完結)などが刊行され、新たに「辞典」ではなく「事典」という語を使ったことが一般化しました。

昭和期の高度経済成長を経て、1960年代頃には各家庭に分冊の百科事典が置かれ、百科事典が大衆化する時期となりました。

小学館からは、1962年に『日本百科大事典』[21](13巻、別冊)が、続いて1965年には『世界原色百科事典』[22](全8巻)、そして1967年には『大日本百科事典ジャポニカ』(18巻、別巻4)が発行されました。

この時期、百科事典は書店での販売だけでなく、訪問販売も行われました。1970年前後には、百科事典の強引な販売が社会問題化し、これが訪問販売のルール形成のきっかけとなりました。

百科事典は当時、実用性よりも応接間の飾りやステータスシンボルとしての役割がありましたが、百科事典ブームが終息すると、多くの家庭で歓迎されなくなり、廃棄されることが一般的になりました。

百科事典と比較すれば、各項目ごとの記述内容は簡潔で文字数も少ないものの、広範囲な用語にわたる辞典として位置づけられる出版物も存在し、1948年には自由国民社から毎年発行されるようになった『現代用語の基礎知識』が、一つの項目ごとの簡潔な説明とともに、流行や世相を反映する年刊資料として市場に現れました。

その後、1986年には講談社インターナショナルから英文の『英文日本大百科事典(英語版)』が刊行され、これは日本を英文で体系的に紹介するものであり、全9巻、英単語数400万語に及び、27カ国、1300名以上の執筆者によって製作され、1500万ドル以上の費用がかかりました。

1983年には、百科事典が実用性よりもステータスとしての役割を果たしていた時代に夜間訪問販売が問題となり、訪問販売のルールが整備される契機となりました。このような時代背景の中、百科事典は家庭で歓迎されなくなり、廃棄されることが増えました。

その後、紙媒体の年刊資料集も、インターネットの普及とともに電子媒体へと移行していき、例えば『イミダス』や『知恵蔵』は紙の媒体を廃止し、完全にウェブ版に移行しました。そして、『現代用語の基礎知識』も2020年版からは大幅なリニューアルが行われ、296ページにまでコンパクト化されました。

こうして、時代の変遷とともに百科事典の役割や形態も変わり、その存在価値が再評価される一方で、新たな情報伝達手段の発展によって新しい形態へと変革を遂げています。

字典とは?

字書(じしょ)は、漢字を分類して記載した辞典を指し、別名として字典(じてん)とも呼ばれます。

狭義では、部首によって漢字を分類し、字形に基づいて整理されたものを指します。しかし、広義には作詩の際の押韻のために韻によって漢字を分類した韻書や、意味に基づいて語をまとめた訓詁書も含まれます。

中国語は1音節が1つの形態素(意味)を表す言語であり、異なる形態素ごとに異なる漢字が使用されていたため、文字数が膨大になりました。

漢字の分類は古典解釈学である訓詁学によって開始され、同義字や類義字となる文字が集められ、漢代初期には『爾雅』にまとめられました。

字義を中心に漢字が分類され、その他にも『釈名』や同義の方言字を集めた『方言』などが編纂されました。

後漢になると、字形によって字義を解釈する形訓と呼ばれる方法論が確立されました。

許慎の『説文解字』は字形要素の偏旁を部首に立て、小篆の親字によって漢字を分類しました。

『説文解字』は六書の理論に基づいて漢字の成り立ちを説明し、字の本義も記載しています。南北朝時代には、顧野王が『玉篇』を編纂し、親字を隷書に改め、音韻を反切によって示すなど、新しいアプローチが試みられ、字義も充実しました。

後漢末期には五言詩が確立され、平仄や押韻の形式が整えられました。こうした中で、韻によって漢字を分類した韻書が登場し、隋代には『切韻』が編纂され、以後の韻書の基準となりました。

異民族王朝に支配された時代もあり、唐代には異体字を整理する試みが行われ、『干禄字書』や『五経文字』など、異体字を正、俗、通などに分類した字様書が誕生しました。

字書や韻書には、中国語の言語学的な知識が組み込まれ、声母に関する韻図の知識が応用されました。これにより、字書では540部の伝統的な部首が統合され、画数順や声母順に整理されるようになりました。

さらに、明の『字彙』や『正字通』、『康熙字典』などによって継承され、現代に至っています。

初学者向けの識字教科書や特殊な書体の字を収集した書物、六書を扱った書物も字書に分類されます。

国語字典と百科事典の違いとは?

国語辞典とは?

国語辞典とは、日本語を簡潔に解説したものです。

漢字や単語、カタカナ語など、身近な日本語を正確に理解するための辞典であり、「アイス」や「つき」といった調べたい文字を引くと、2行や3行の文章で分かりやすく説明されています。

国語辞典には言葉の本来の意味や語源、使い方に関する簡潔な説明が含まれています。

対象年齢に合わせて小学生向けや中高校生向けなどがあり、授業に適した内容を学ぶことができます。

最近では流行語や新語も含む、現代らしい言葉を取り入れた国語辞典も人気です。日本語は変化するものなので、新しい国語辞典を手に入れ、常に新しい言葉を学ぶこともおすすめです。

百科事典とは?

百科事典とは、魚や昆虫、花や宇宙など、あらゆる分野の知識を分かりやすく説明したものです。「百科」には「色々な分野」という広い意味があり、身近な暮らしの「なぜ・どうして」を分かりやすく解説した辞典です。

百科事典は「あいうえお」もしくは「ABC」などのアルファベットを使って調べたい単語を引いていきます。

イラストを交えて説明されている項目もあり、自宅にあると世界が広がり、知的好奇心が刺激されます。子供部屋やリビングに置いておきたい、暮らしの必需品です。

国語辞典と百科事典の違い

どちらも人気のある辞典ですが、国語辞典と百科事典にはいくつかの違いがあります。

まず、辞典と事典の大きな違いは、辞典は文字や使い方に関する詳細な解説を行ったものであり、事典はある事や物について内容を詳細に説明したものです。

国語辞典は日本語の成り立ちや文法、意味に関する分かりやすい解説が含まれています。

一方で、百科事典は科学や植物、宇宙など広範な分野にわたり、その内容を詳しく説明しています。

国語辞典は日本語の意味を調べる際に役立ちますが、百科事典は日常の疑問や不思議など、様々な知識を解決する際に活用されます。それぞれ異なる役割を果たすため、別々の本として存在しています。

国語辞典と広辞苑の違いとは?

広辞苑は、岩波書店が刊行している日本語の国語辞典です。辞典は、国語辞典だけでなく、英和辞典や漢和辞典など、内容に応じていくつもの種類があり、その認知度は非常に高い書籍の一つです。

辞典は、国語辞典や英和辞典など、さまざまな言葉をまとめ、その意味や用法、発音などを説明した書物の総称です。同じ発音の「事典」も存在しますが、これは漢字をまとめて解説する書籍で、「事典」は事物をまとめて説明する書物を指します。

広辞苑は、岩波書店から発行された国語辞典であり、初版は昭和30年(1955年)に刊行されました。その後も版を重ね、現在(2016年12月現在)では平成0年(2008年)の第6版まで発行されています。広辞苑は約24万語を収録しており、日本語の国語辞典として最も権威あるものとして、長い間支持を受けています。

広辞苑は、通常の印刷された辞典だけでなく、多くの電子辞書にも収録されています。広辞苑に語が収録されることは、その語が新たに生み出され、社会に広く認知され、定着したことを示しています。広辞苑には世界の社会情勢に関する情報や、数千の図版、地図なども含まれており、百科事典としても利用できます。

漢字辞典と漢字字典は違いはあるの?

漢字辞典は、音訓、字義、部首、画数などが掲載され、漢字を解説した辞典を指します。これらの辞典の多くは、漢字の理解を目的とし、特に「現代日本語における漢字」に焦点を当てています。

漢字字書は、漢字を分類した辞典のことで、字典(じてん)とも呼ばれます。狭義では部首を基準にし、字形によって漢字を整理したものを指しますが、広義では韻によって漢字を分類した韻書や、語を意味によって整理した訓詁書も含まれます。

基本的には漢字辞典も漢字字典も大きな違いはなく、日本で漢字を調べるなら漢字辞典、中国などの漢字を調べるなら漢字字典と覚えておけば特に問題はないです。

まとめ

辞典(じてん)、事典(じてん)、字典(じてん)の違いは次の通りです。

辞典(じてん)

特徴:言葉や単語に関する意味や用法、語源、発音などを解説した書物。
用途:言葉の理解や使用に関する情報を提供する。
例:国語辞典、英和辞典、和英辞典。

辞典の歴史

古代:最初の辞典の形態は古代に遡り、言語の辞典としては、古代ギリシャの「語源辞典」が知られています。

中世:中世には、ラテン語や古典の解釈を目的とした辞典がヨーロッパで作成されました。これは、学問や宗教の文脈で用いられました。

近世:国語辞典が登場し、印刷技術の発展により一般の人々にも普及するようになりました。日本でも江戸時代には国語辞典が出版されました。

事典(じてん)

特徴:ある事物や分野に関する幅広い知識を解説した書物。一般には百科事典が典型的な例。
用途:様々な分野の知識を提供し、学習や調査に活用される。
例:百科事典、地名事典、歴史事典。

事典の歴史

18世紀:百科事典が登場。最初の百科事典は、17世紀のフランスの「エンシクロペディ」が挙げられます。これは広範な知識を収め、百科事典の原点とされています。

19世紀:百科事典の普及。ヨーロッパやアメリカで多くの百科事典が刊行され、一般の人々が幅広い知識にアクセスできるようになりました。

近現代:電子化と共に、CD-ROM、オンライン百科事典の登場。情報のデジタル化により、検索や利用が容易になりました。

字典(じてん)

特徴:漢字や文字に関する情報を解説した書物。広義には言葉の表記に関する辞典も含む。
用途:漢字や文字に関する知識を提供し、正確な表記や理解を支援する。
例:漢和辞典、国語字典。

これらの書物はそれぞれ異なる側面から情報を提供し、言葉や知識に関する理解を深めるのに役立ちます。

字典の歴史

古代:最初の漢字字典として『説文解字』があります。これは、漢字の語源や構造を解説した中国の字典です。

中世:中国では、宋代になると多くの字典が編纂され、字の形や音、意味などが体系的に整理されました。

近世:日本においても、江戸時代に漢和辞典や国語辞典が編纂されました。

現代:コンピュータ技術の進化により、漢字の検索が容易になり、電子辞典やオンライン辞典が利用されるようになりました。